ようなものが売れ出したら文学とか芸術とかいうものは、黙って引込むべきではなかろうか。
 暫く芸術をやめて戦争する方がよくはあるまいか。今の読者の消化不良は、たしかに運動不足のせいもあると思う。
 一《ひ》と運動して元気を回復した後にドンナものが読みたくなるかだ。
 今一度エロ、グロ、ナンセンスでもあるまい。昔ながらの缶詰文学でもあるまい。
 三越、白木屋のスシと河岸《かし》のスシの味を味わい分け得るのは一種特別の最高級のブルジョア根性の舌でなければならない。同様に、吾等の見ていた、純文学の価値は、資本主義社会特製のブルジョア頭でなければ、批判出来ないものであったかも知れない。そうして永久に亡び去るべき運命を持った芸術であったかも知れない。
 芸術が亡びない限り純文学が亡びないと信じたのは、吾等の錯覚であったかも知れない。

 とにかく、何もかもが八百八街の幌自動車の数と一所《いっしょ》に過ぎ去り、且つ、消え失せて行きつつ在る。その過ぎ去り消え失せるスピードが、時々刻々に加速度化しつつ在る。私はただ茫然と、それを見恍《みと》れているきりである。
 遠からず路傍の木乃伊になってしまいそうである。口をポカンと開いた……眼の前の空間を凝視した……。



底本:「夢野久作全集11」ちくま文庫、筑摩書房
   1992(平成4)年12月3日第1刷発行
入力:柴田卓治
校正:しず
2001年7月23日公開
2006年3月4日修正
青空文庫作成ファイル:
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