のころ他に探偵小説めいたものは殆んどありませんでした。家庭小説や自然主義小説の全盛期でしたので、もっと深刻なものを要求していた私の読書慾は絶えずイライラしていたようです。「人間の先祖は猿である」という進化論の理詰めを読んでたまらない痛快味を感じたのもその頃の事でした。
ところが又そのうちに中学の三年か四年の頃、少年界か少年世界かでポーの「黒猫」の意訳を読んで非常に打たれたものでしたが、私の探偵小説愛好慾は、それ以来急激な変調を来《きた》したようです。つまり涙香物が浅く感じられて来ましたので、逆にアラビヤンナイト式のお伽話《とぎばなし》的怪奇趣味の中にモグリ込んでしまいました。そうして矢鱈《やたら》に変テコなお伽話を書いて人に見せたり、話して聞かせたりしたものでしたが、誰も相手にしてくれませんでした。一方に私は不勉強で英語が出来ませんでしたので、外国の探偵ものを探して読む勇気もなく、棠陰比事《とういんひじ》や雨月物語なぞの存在も知らないままに又もイライラを続けておりますと、そのうちにフトした動機から宗教に凝《こ》りはじめました。
で、経典以外のものには心を打たれなくなってしまいました。
私は信心に凝っているうちに、今まで見た事も聞いた事もない怪奇な世界を数限りなく発見しました。それは自分の心の中《うち》の邪悪と、倒錯観念の交響世界で実に不可思議な苦痛深刻を極めたものでした。謡曲|阿漕《あこぎ》の一節に、
「丑満《うしみつ》過ぐる夜の夢。見よや因果のめぐり来る。火車に業《ごう》を積む数《かず》。苦《く》るしめて眼の前の。地獄もまことなり。げに恐ろしの姿や」
とあるのはそうした気持ちの一例とでも申しましょうか。
そうして、これは芸術にならないかしらと時々思いましたが、一方にそれは芸術の邪道であるというような、宗教カブレらしい気咎《きとが》めもしましたのでそのままに圧殺しておりました。
ところがこの頃になって探偵小説が流行して、飜訳や創作に、そんな性質や意味の芸術作品がドシドシ発表されるのを見ると愈々《いよいよ》たまらなくなりました。
そこへ博文館の懸賞募集が出ましたので早速投稿した訳ですが、それが二度目にヤットコサと二等に当りましたのが病み付きで、時々|覚束《おぼつか》ないものを書かせて頂く事になりました。
考えてみるとこれが直接の動機に違いありません。
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