、その黒い土の上に、誰が種子《たね》を蒔《ま》いたともなく、コスモスが高やかに生《お》い茂りました。そうして秋に入ってから、まぶしいほど美しく満開したと思う間もなく今日になって、この出来事が起ったのです。
三太郎君は奇妙な、恍惚《うっとり》とした気持ちになって、その大きな卵をソット抱き上げてみました。それはよく見ると青いような、黄色いような、半透明な殻の中にトロトロした液体を一パイに充実さしているらしい水ぐらいの重たさのものでした。その太陽に向っている半面は暖かくなっていました。
三太郎君は、それから毎晩その卵を抱いて寝ました。
そのつめたい殻が、三太郎君の肌とおなじ暖かさになると、卵の中からスヤスヤという寝息が、かすかに聞えて来るように思われました。しかも、それが三太郎君の妄想でない証拠には、ためしにチョットゆすぶってみると、その寝息の音がピッタリと止まるのでした。そうして、それと一所にお乳《ちち》のような、又は洗い粉のような甘ったるいにおいが、ほのかに湧いて来るのです。
三太郎君は卵が可愛ゆくなりました。毎晩暗くなるのを待ちかねて、毀《こわ》さないようにソッと抱いて寝るのが、この上もない楽しみになって来ました。そうして夜が明けるとすぐに夜具を押し入れに入れて、自分の寝ぬくもりの籠《こ》もった敷布団の間にソット入れてやるのでした。こうして独身のまま、かあいい卵を抱いて生涯を過したらばどんなに気楽で嬉しいだろう……なぞと空想したりしました。
そのうちに卵は次第に変化して来るようでした。殻の色が黄色から桃色……桃色から茶色へ……茶色から灰色へ……そうして中から聞こえる寝息と思っていた物音が、夜の更けるにつれて高まって、しまいにはウンウンという唸《うな》り声かと思われるようになりました。
三太郎君は気味がわるくなって来ました。……きっと卵が孵化《かえ》りかけているのに違いない。そうして中に居る或る者が殻を破り得ずに苦しがっているのに違いない……と思って……。しかしそのうちに、ひとりでに内側から破れるであろう、万一《もし》早まって割ったりしては大変だ……と我慢しいしい抱いておりました。
秋が更けて行くに連れて卵はだんだんと灰色から紫色にかわって行きました。それは死人のような気味のわるい色で、しまいには薄紅い斑点さえまじって来ました。卵の中のうなり声も次第に高まって、歯をむき出した野獣か何ぞのように物狂おしく力強くきこえて来ました。時折りはキリキリと歯切《はぎし》りをするような音さえ殻の中で起るのでした。
三太郎君はそのたんびにゾッとさせられました。夜通し眠られぬ事さえありました。これはタマラヌ……と心配しながら……。
すると或る夜の事、三太郎君がウンウン唸る卵を懐《ふところ》に入れたまま、ウツラウツラと睡っているうちに、不意にどこからともなくシャ嗄《が》れた声が聞こえて来ました。
「オトウサンオトウサンオトウサンオトウサンオトウサン」
それは死に物狂いに藻掻《もが》いている小さな人間の声のようでした。三太郎君はハッと眼を醒ましました。
卵は三太郎君のミゾオチの処で、大病人のように熱くなっていました。その中から放散する小便のような、腐った魚のようなあたたかい臭気《におい》が夜具の中一パイに籠《こ》もっています。
三太郎君は慌てて卵を抱え直すと、そのまま起き上って、大急ぎで雨戸をあけました。……もとの処に返しておこう……というような気もちで足探りしいしい庭下駄《にわげた》を突っかけましたが、あまりあわてておりましたせいか、思わず前にノメリそうになった拍子に、真暗なお庭の沓脱石《くつぬぎいし》のあたりへ卵をコロリと取り落しました。……と同時にバッチャリと潰れた音がしたと思うと間もなく、生あたたかい、酸っぱいような小便のにおいがムラムラと顔に迫って来ましたので、三太郎君は、ヨロヨロとあとしざりしながら顔をそむけました。
空には一面に星が散らばっていました。
三太郎君は、あとをも見ずにピッシャリと窓を閉めました。全身の汗がヒヤヒヤと冷え乾いて行くのを感じつつ、寝床にもぐって、ワナワナとふるえておりましたが、そのうちにウトウトしたと思うと、又、ハッと眼を醒ましました。あとを掃除しておかなければならぬと思って……。
恐る恐る雨戸を開いて見ますと、いつの間にか夜が明けて、外はアカアカとした小春日和《こはるびより》でした。裏庭の隅にはまだ、コスモスの白い花が、黒い枝の間にチラリホラリと咲き残っています。
沓脱石の処には何のあとかたもありませんでした。おおかた昨夜のうちに近所の犬か猫かが来て嘗《な》めてしまったのだろうと思われる位キレイになっておりました。
三太郎君はホッとしました。そうして何喰わぬ顔で朝食前
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