人はこうして顔を合わせるたんびにお互いの態度を真似るのでした。そうしてトウトウニッコリし合う機会が一度もないうちに、別れなくてはならなくなったらしいのです。
二人は何という愚かな二人だったでしょう。
なぜあんなに固くるしくまじめな態度を執《と》ったのでしょう。
なぜあんなに、お互いの恋を警戒し合ったのでしょうか。
……三太郎君はその原因を知っていました。
……ホントウの事を云いますと、あの露子さんの顔を初めて見た晩に、三太郎君の魂は、よく眠っている三太郎君の肉体《からだ》をソーッと脱け出して行ったのです。そうしてちょうど今三太郎君が突立っている黒い土の上で、待ちかねていた露子さんと忍び合ったのです。そうして、それから後三太郎君の魂は毎晩のように、同じところで露子さんと出会って、囁《ささや》き合い、泣き合い、笑い合ったのです。
もっとも最初のうちは三太郎君も、それを自分一人の幻想だと思って、独《ひと》りで恥じていたのです。露子さんのうしろ姿や、着物の片影を見ただけでも、済まない、恥かしい、空おそろしい……というような気持ちに囚《とら》われて、吾れ知らず顔面の筋肉を緊張させたものです。
ところがそのうちに露子さんも矢張り、三太郎君と同じ気持ちでこちらを見ていることがわかって来たのでした。露子さんが三太郎君と顔を見交《みかわ》すたんびに見せる何ともいえない、つめたい緊張した表情が、そうした露子さんの心の底の秘密をありのままに物語っているのでした。三太郎君の幻想が決して三太郎君一人の気の迷いではない。疑いもなく二人の魂がソックリそのまま肉体を脱け出して、毎夜毎夜ここで媾曳《あいびき》をして楽しんでいるのだ……という事が次第にハッキリと三太郎君に意識されて来たのです。そうして、それと同時に、二人がこうして現実の恋を恋し得ないで、魂だけで忍び合って満足をしているのは、決して恋を恐れているのではない。現実の恋から必然的に生まれる「ある結果」を恐れ合っているからだ……という事までも、透きとおるほどハッキリと三太郎君に理解されて来たのでした。
二人が昼間のうちに見合わせる眼付きは、こうしていよいよ冷やかになって行くばかりでした。そのかわりに二人の心は、日が暮れるのを待ちかねてこの地境の黒い土の上で逢《お》う瀬《せ》を楽しみ合うのでした。
そのうちに夏が過ぎると
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