え》って確かなもの。否応《いやおう》なしに千六の尻を押《お》いて金輪際、満月を身請させいでおこうものか。もし又、万が一にも、その期《ご》に及んで満月が二人の切ない情《こころ》を酌《く》まず、売女《ばいた》らしい空文句を一言でも吐《ぬ》かしおって、吾儕《われら》を手玉に取りそうな気ぶりでも見せたなら最後の助。こっちは元より棄てた一生。一刀の下に切伏せて、この年月《としつき》の怨恨《うらみ》を晴《は》らいてくれるまでの事。所詮、それ位の役廻りにしか値打せぬ吾身の運命であったかも知れぬが……と、とつおいつ思案のうちに、旅支度という程の用意も要らぬ着のみ着のままの浪人姿。ブラリと立出づる吹晒《ふきさら》しの東海道。間道伝いに雪の箱根を越えて、下れば春近い駿河の海。富士の姿に満月の襟元を思い浮かめ、三保の松原に天女を抱き止めた伯竜《はくりゅう》の昔を羨み、駿府から岡部、藤枝を背後《うしろ》に、大井川の渡し賃に無《な》けなしの懐中《ふところ》をはたいて、山道づたいの東海道。菊川の宿場に程近く、後になり先になって行く馬士《まご》どものワヤク話を聞くともなく聞いて行くうちに、銀之丞はフト耳を引っ立てて、並んで曳かれて行く馬の片陰に近付いた。声高く話す馬士《まご》どもの言葉を一句も聞き洩らすまいと腕を組み直し、笠を傾けて行った。
菊川の家並《やなみ》外れから右に入って小夜《さよ》の中山を見ず。真直に一里半ばかり北へ上ると、俗に云う無間山《むげんざん》こと倶利《くり》ヶ|岳《だけ》の中腹に、無間山《むげんざん》、井遷寺《せいせんじ》という梵刹《おてら》がある。この寺は昔、今川義元公が戦死者の菩提《ぼだい》のために、わざと風景のよい山の中腹に建てられたもので、寺領も沢山に附いておったが、その後、信長公、秀吉公、東照宮様と代が変って来るうちに、その寺領もなくなり、久しく無住の荒れ寺となって、妖怪《ばけもの》が出るというような噂まで立っていた。
ところがツイ二三年前のこと、甲州生れの大工上りとかいう全身に黥《いれずみ》をした大入道で、三多羅和尚《さんたらおしょう》という豪傑坊主が、人々の噂を聞いて、一番俺がその妖怪《ばけもの》を退治《たいじ》てくれようというのでその寺に住《すま》い込み、自分でそこ、ここを修繕して納まり返り、近郷近在の無頼漢を集めて御本堂で賭博《ばくち》を打たせ、寺銭《て
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