人とも酔っ払っている上に、聞いていたのが若い娘さんだったもんだからドッチがドウ主張し合っているんだか、だんだんわからなくなってしまった。しまいには、お互の家庭教育の攻撃し合いになってソンナ奴の娘は貰わん。遣らん……というところから取っ組み合いになったので、仰天した娘さんが仲裁に這入って二人とも寝かし付けた。斎藤さんは近い処だから帰ると云ったが、ベロベロに酔っ払って危いので、ともかくもお迎えに奥さんが見えるまでという訳で欺《だま》して寝かし付けた。二人は寝てまでも「貴様は国賊だ」「何が国賊だ」と罵り合いながら睡ったというんだが、今も云う通り、若い娘さんが聞いたんだからね。その議論がドレ位の深刻さで闘わされたものか、わかりゃしないやね。
ところがその夜中になって大変な事が持上った。天神髯の斎藤さんが、恐ろしく苦悶し初めてスバラシク吐瀉し続けて人事不省に陥った。熱は出ていないが見る見るうちに脈が悪くなって、ビクビクと痙攣《けいれん》を起して固くなってしまった。まだ息の在るうちに、その皮膚を獣医の西木さんが抓《つま》んでみたら全く弾力を失ってしまっていたというんだ。
サア大変だ。コレラだというので、西木先生ステキに狼狽したんだね。時を移さず警察へ報告したので、B町中が忽ち引っくり返るような騒ぎだ。何しろB町は今秋の大演習の御野立所《おのたちじょ》になる筈だったんだからね。西木、斎藤の両家は勿論のこと、前の日に斎藤さんの診察を受けた患者の家も勿論のこと、ヌタの材料を売った魚屋から、斎藤さんが喰いもしない干鰯を売った乾物屋まで、疾風迅雷式に猛烈な消毒、出入禁止だ。全く飛んだ災難だね。
ところが又、ここに一つ不思議というのは、その虎列剌《コレラ》の伝染系統が全くわからん。その当時はまだ夏の初めで、県下に虎列剌《コレラ》の虎《コ》の字も発生していなかった時分だ。斎藤さんも勿論、宅診、往診以外に遠くへ行った形跡はない、つまり所謂、無系統コレラ……天降り伝染という奴だね。
不思議だ不思議だといううちに県の衛生試験所へまわった斎藤さんの吐瀉物について大変な報告がB町の警察署に来た。
「検鏡の結果コレラ菌を認めず。但し著明の酸性反応を認む」
西洋の名探偵だったらここで哄笑一番するところだがね……イヤ。モット前に危険を予知して斎藤さんに忠告していたかも知れないがね。
「内科医が、
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