に相違ないがね。吾々の仕事となるとナカナカそうは行かないんだ。医学関係の問題だけでも研究の余地が無限に拡がっているのに、医学以外のありとあらゆる不可思議現象に対して、責任ある断定を下さなければならないから往生するよ。
 チョット呼ばれて裁判所に行っていると、この証文の墨色の真偽を鑑定しろと来るんだ。マルッキリ医者の仕事じゃないやね。
 この帽子を冠った奴の職業と年齢を問う。この蠅は生後何箇月ぐらいで如何なる処に発生したるものなりや……なんかと来る。今に火星人類の指紋の有無を尋ねられるんじゃないかと思ってビクビクするね。しかもそのたんびに宣誓させられるんだから遣《や》り切れないよ。法医学部専門の大英百科全書を買ってくれと、毎年毎年予算に出してはいるがね。ナカナカ買ってくれないので困っているんだ。イヤ、笑いごとじゃないんだよ。大英百科全書を引っくり返せば直ぐにわかる事を、ワザワザ吾輩の処へ尋ねに来る裁判所や、警察があるんだからね。チョイチョイ……。
 その癖、鑑定は鑑定だけで、事件の真相になんか触れさせないまま追払《おっぱら》われる事が、極めて多いんだ。吾々に支払う蚊の涙ほどの鑑定料が惜しいのかも知れないが、余計なところには一切|喙《くちばし》を容《い》れさせないのだから詰まらない事|夥《おびただ》しい。
 吾々だって人間だあね。紛糾した事件の一端を聞くと、直ぐに事件の真相に突込みたくならあね。憎い犯人をタタキ上げてみたくもなろうじゃないか。それを犯人の足跡の鑑定だけさせられて追払《おっぱら》われたんじゃ、鰻丼《うなぎどんぶり》の臭いだけを嗅がされたようなもんだ。

 悪く云う訳じゃないが、裁判官だの、警察官なんてものは、めいめいに自分の専門の法律とか、犯罪に対する第六感とか、多年の経験とかいう、所謂、犯罪関係の高等常識ばかりに凝《こ》り固まっているんだから、普通一般の社会に関する高等常識にはドッチかというと欠けている傾きがあるね。
 たとえば若い女が自殺したと聞くと、直ぐに恋愛関係じゃないかと疑いをかける。ストライキを起すとスワコソ社会主義という風に、手近い経験から来た概念的な犯罪常識をもって、一直線に片付けて行こうとする癖があるようだね。だから、その概念が間違っていたら運の尽きだよ。事件は片《かた》ッ端《ぱし》から迷宮に這入って行くんだからね。
 コンナ事件があるん
前へ 次へ
全9ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング