に、父のモジャモジャ頭の中から真赤な滴りがポタリポタリと糸を引いて畳の上に落ちて流れ拡がり初めた。しかし父は両手を突いたままジッとして動かなかった。
 お祖父様は、座布団の上から手を伸ばして、くの字型に曲った鉄張り銀象眼の煙管を取上げ、父の眼の前に投げ出された。
「真直《まっす》ぐめて来い(モット折檻してやるから真直にして来いという意味)」
 と激しい声で大喝された。
 父は恭《うやうや》しく一礼して煙管を拾って立上った。その血だらけの青い顔が、悠々と座敷を出て行くところで、私の記憶は断絶している。多分泣き出したのであろう。
 それが何事であったかは、むろんわからなかったし、後《のち》になって父に聞いてみる気も起らなかった。

 父は十六の年に、お祖父様を説伏《ときふ》せて家督を相続した。その時は父は次のような事をお祖父様に説いたという。
「日本の開国は明らかに立遅れであります。東洋の君子国とか、日本武士道とかいう鎖国時代のネンネコ歌を歌っていい心持になっていたら日本は勿論、支那、朝鮮は今後百年を出《い》でずして白人の奴隷と化し去るでしょう。白人の武器とする科学文明、白人の外交信条とする無良心の功利道徳が作る惨烈《さんれつ》なる生存競争、血も涙も無い優勝劣敗掴み取りのタダ中に現在の日本が飛込むのは孩子《あかご》が猛獣の檻《おり》の中にヨチヨチと歩み入るようなものであります。この日本を救い、この東洋を白禍《はっか》の惨毒から救い出すためには、渺《びょう》たる杉山家の一軒ぐらい潰すのは当然の代償と覚悟しなければなりませぬ。私は天下のためにこの家を潰すつもりですから、御両親もそのおつもりで、この家が潰れるのを楽しみに、花鳥風月を友として、生きられる限り御機嫌よく生きてお出でなさい」
 その時はまだ私が生まれていない前だったから、果してこの通りの事を云ったかどうか保証の限りでないが、その後《のち》の父は正しく前述の通りの覚悟で東奔西走していたし、お祖父様やお祖母《ばあ》様も、母までも、その覚悟で、あらん限りの貧乏と闘いつつ留守居していた事を、私は明らかに回想する事が出来る。なつかしい、恨めしい、恐ろしい、ありがたい父であった。

 父は或る時、お祖父様に舶来の洋傘《こうもり》のお土産を持って来て差上げた。それは銀の柄の処のボタンを押すとバネ仕掛でパッと拡がるようになっていた
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