二人切りになった時、妙にしおれた様子をしていて、
「どうしたのか」
 と尋ねても理由を云わない。あれかこれかと問い詰めた揚句ワッとばかりに泣き出すので、やっとわかるなぞいうのがあります。
 もっとヒステリーなのになると、夫の顔を見るたんびに何だか淋しくたよりなくなる。男の顔を見るのが物悲しく心苦しくなる。理屈も何も無いままにこの世が心細くわびしく思われて来て、
「あたしこの頃何だか変なの。あたし一人でいたくて仕様がないの。どうぞ構わないで頂戴」
 なぞ云いながら、自分でも何故そんな気もちになるのだかわからない。身に余る晴れやかな男の親切の裡《うち》に、たよりなさ、わびしさがますます深く感ぜられて来る。
「これがヒステリーというものでないかしら」
 なぞ考えているうちに、とうとう本物のヒステリーにかかってしまう。かかってから初めて潜在意識を意識して、
「あなたは妾を欺していらっしゃるでしょう」
 と正面から開き直り得るような事になるのであります。
 こんなのになると、いくら云いわけをしてもあやまっても頑として聴き入れないようであります。眼玉が灰落しのように凹《へこ》み、胸が洗濯板のようになって、怨み死にに死ぬまでもであります。
 鼻の表現の影響の深刻さ、ここに到って実に身の毛も竦立《よだ》つ位であります。
 一方にこうして女性に図星を指された場合、男性はその面目上|憤《おこ》るのが十中八、九のように見受けられます。ジロリと睨んだだけで相手を押え付けてしまう千両役者もありますが、大抵の場合それだけでは気が済みませぬ。
「そんな卑しい男と思うか」
 とか何とか眼も口も頬も額も、身体《からだ》中の表現をむずつかして自分の心底の公明正大を証明しようとします。その中には世間の習慣に楯つこうとする女性の生意気さに対する憤り、今までに与えた恩誼に対する相手の無自覚さに対する不満なぞいう良心の錯覚もまじっているのであります。その錯覚の勢いで相手を圧倒すると同時に、自分の正しからぬ鼻の表現を誤魔化そうと試みるのであります。
 しかし生憎《あいにく》にも鼻はいつもこの表現を裏切っているのであります。その暗い記憶に対する気の引け加減は、眼や口が怒りの表現で大車輪になってるさなかにも、鼻の表現にちゃんと居残っているのであります。

     馬鹿にされる
       ――悪魔式鼻の表現
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