曖昧な表現にかわります。トドのつまり、まあ考えて見ようから「止むを得ぬ」程度までに変化して終《しま》うから、かように名前をつけたものと推察されるのであります。つまりこの薬が如何に相手の感情に利《き》いて、その鼻の表現に如何に芽出度い変化を及ぼすかという事が、無意識の中に一般に認められているからでありましょう。
 以上は主として感情から来た鼻の表現の中《うち》で昔から言い慣《な》らわして来た言葉を拾い出したものでありますが、またこの他に刹那的又は半永久的もしくは永久的に現われる意志や性格又はそれ等のすべてを綜合した鼻の表現として認められているものも些くないのであります。「鼻を明ける」とか「鼻を明けてくれる」とかいう言葉なぞはその代表的なものの一つで、一方の決然たる意志を示すと共に、相手方の高慢チキな鼻の表現が引《ひっ》くり返って「アッケラカン」と空虚になった鼻の表現を期待した言葉であります。
「鼻を折る」とか「折られる」とかいうのもこれと同様の意味で、こちらの「どうするか見ろ」とかかって行く意気組と共に、先方の同じような突張り返った鼻の表現がタタキ落とされるかヘシ曲げられるかして、「もう堪忍」とか「無念」とかいうセンチメンタルな表現になるのを形容した言葉であります。
「鼻息が荒い」というのは、決して凹《へこ》まないという猛烈な意気組が鼻の先に横溢して、意志や感情の風雨雷電をはためかしているのを鼻息になぞらえたものでありましょう。
「鼻っ張りが強い」という言葉は、「五分も引かぬ」「理が非でも勝つ」という意志が鼻っ柱に充実している場合を指す事は明らかであります。見様に依ってはこの表現が如何なる場合にも連続して発揮されるため、その本人の性格の象徴として認められているものとも考えられるのであります。
「鼻息を殺す」という形容詞も同様に鼻の表現の一つとして認められ得るのであります。これは「息を凝《こ》らす」とか「詰める」とかいう言葉の代りに用いられるので、それよりももっと緊張した感じを見せる表現として認められているようであります。即ち「息を殺す」という方は他人の武術や運動の勝敗なぞを見る時に主として用いられるようでありますが、「鼻息を殺す」という気分は直接自分に利害関係のある問題に対して現わす事が多いようであります。つまり形勢|奈何《いかん》とか様子如何にというような場合に自分
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