ろに在る……
 無から有を生ずるところに在る……
 不変不動のまま千変万化するところにある……
 造化の妙理、自然の大作用はここにも窺う事が出来る……」
 という事実が如何に驚異に値するか……ただ言語道断。気を呑み声を呑《のん》で「鼻」の前に低頭平身する他ありませぬ。
 昔から偉人とか傑士とか、又は苦労人と呼ばれる人々は、多少に拘らず無意識の裡にこの間の消息を飲み込んでおったもののようであります。
「人品骨柄卑しからぬものと見えた。召し抱えよう程に名を問うて参れ」
 といったような話があります。この人品骨柄卑しからぬという見処《みどころ》は、その鼻の表現にあるので、眼や口が如何に清らかであっても鼻の表現が卑しかったら落第であります。
 如何に経歴を偽っても、又は柔和な人相をしていても、
「此奴油断のならぬ奴」
 と思わせるのは、その胡乱《うろん》な経歴から来た性格が鼻に現われているからであります。
 戦場|場数《ばかず》の豪の者、千軍万馬を往来した驍将《ぎょうしょう》の鼻には、どことなく荒涼凄惨たる戦場の殺気を彷彿せしむべき或るものがあります。
 泥水商売に身も心も浸《ひた》して来た鼻には、血も涙も褪せ果てた見すぼらしい本心の姿が見えるというのは、さもあるべき事でありましょう。
 この故に大聖孔子は、一野翁老子の前に頭が上らなかったのではありますまいか。
 かかるが故に、歴山《アレキサンダア》大王は一乞食学者ダイオゼニアスを奈何《いかん》ともする事が出来なかったのではないでしょうか。
 賤《しず》が伏せ屋の見すぼらしい母子《おやこ》が只の人でないと眼をつけられ、綾羅錦繍《りょうらきんしゅう》の裡《うち》に侍《かし》ずかるる貴婦人がお里を怪しまるるそもそもの理由も、亦《また》ここにあるのではありますまいか。
 骨相学者や運命判断の原理は別としましても、その人の経歴と性格と運命とが、鼻の表現を中心として循環転変して行きつつある事は疑う余地ありませぬ。
 この道理は歴史の上にも現われて、成る程と思わせられる事が甚だ多いのであります。
 歴史上に活躍する人物の性格と、これに対する群集心理との結合は何に依って成り立っているか。何に依って認められ、何に依って反響を招きつつあるか。
 思うてここに到る時、鼻の表現の権威の偉大さに驚かざるを得ないのであります。
 世界の歴史は誇張し
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