まり男性ばかりでなく相手の女性の鼻の表現――本心や性格にもいろいろな条件が付いていて、男性の鼻の表現に対する感覚が鈍っているのであります。惚れた弱味や惚れない強味、先入主や後入主、自惚《うぬぼ》れや贔負《ひいき》目、身の可愛さや子の可愛さなぞいう物質的や精神的な条件が、底も知れぬ位入れ交《まじ》って淀みつ流れつしております。その上をその日その日の気分の風が吹き、その時その時の感情の波が立ち騒ぐといった調子で、相手の鼻の表現を底の底まで映し出しながらも、風に吹かれ波に消され、又は流れに引かれて、思うがままの態度を取りにくいのが普通であります。そのために笑って済ます切なさもあれば、泣き寝入りのあわれさもあります。一方には女郎の千枚|起請《きしょう》や旅役者の夫婦約束が、何の苦もなく相手を自殺させるなぞいう奇蹟が続々と起って来ることになるのであります。
悪魔式鼻の表現はこの間に活躍して縦横|無礙《むげ》にその効果を挙げるので、鼻の表現研究の必要もここに到って又|益《ますます》甚だしくなるのであります。
貞操と鼻
――悪魔式鼻の表現(十一)
近来「男子の姦通罪を認めよ」とか「認めるな」とかいう問題が次第に八釜《やかま》しくなって、議会にかけるとかかけぬとか騒がれているようになりました。
現代の社会組織とか、この中に行われる習慣とか、又は一般道徳とかいうものを標準にされる法律では、こんな問題が問題になるかも知れませぬ。市役所に出す婚姻届が絶大の権威を持つ法律では、こんな研究が八釜しい研究材料となるかも知れませぬ。しかし鼻の表現研究の原則から見れば全く問題とするに足りませぬ。研究する事すら馬鹿馬鹿しい位であります。
妻は常に夫に対して純真純美な鼻の表現を見せていなければならぬと同時に、夫は常に妻に対して公明正大な鼻の表現を示していなければなりませぬ。仮《か》り染《そ》めにも鼻の表現に暗い影響を及ぼすような、暗い心理的経過を持ってはなりませぬ。これは誰にでもわかり切った問題で、又それだけの事であります。
法律の御厄介にならねばならぬような貞操関係を持つ夫婦は、世間的には夫婦かも知れませぬが、人間的には夫婦でありませぬ。市役所の戸籍面では夫婦かも知れませぬが、鼻の表現上の夫婦関係は消滅しているのであります。そんな事ならば初めから夫婦にならぬ方が
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