主の恩顧と、永年奉仕して来た福岡市内各社の祭事能に関する責務を忘れず、一身を奉じつくして世を終った。
風雲に際会して一時の功名を遂げるのは比較的容易であると聞く。権を負い、才力を恃《たの》んで天下に呼号するのは英雄豪傑の会心事でなければならぬ。
しかし純忠の志を地下に竭《つく》し、純誠の情涙を塵芥裡に埋めて、軽棄されたる国粋の芸道に精進し、無用の努力として世人に忘却されつつ、満足して世を去るという事は普通の日本人……世間並の国粋流者の能《よ》くするところでない。
旧藩以来福岡市内|薬院《やくいん》に居住し、医業を以て聞こえている前医師会理事故権藤寿三郎氏(現病院長健児氏令兄)は梅津只圓翁の係医として翁の臨終まで診察した人であるが、嘗《かつ》て筆者にかく語った。
「私は謡曲とか能楽とかいうものは些《すこ》しも解からず、又面白いとも思わない。しかし医師として梅津只圓翁の高齢と元気とには全く敬服していた。私は翁を健康な高齢者の標本として研究していたので、爾後《じご》幾多の老人の診察に際して非常な参考となった事を感謝している。晩年といっても翁が九十二歳、明治四十一年から三年間病臥して居ら
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