色ばかり心配していたものであった。

 かようにして毅然たる翁の精進によってこの九州の一角福岡地方だけは昔に変らぬ厳正な能楽神祭が継続された。囃子方、狂言方は勿論の事、他流……主として観世流の人々までも翁の風格に感化されて、真剣の努力を以て能楽にいそしんだ形跡がある。甚だしきに到っては元来|上懸《かみがかり》の発声と仮名扱いを以て謡うべき観世流の人々までが、滔々《とうとう》として翁一流の下懸《しもがかり》式|呂張《りょはり》を根柢とした豪壮一本調子な喜多流|擬《まが》いの節調を学び初め、観世流の美点を没却した憾《うらみ》があった。
 かような翁の無敵の感化力が如何に徹底したものであったかは、後年観世流を学んでいた吉村稱氏が翁の歿後一度上京して帰来するや、
「福岡の観世流は間違っている。皆只圓先生の真似をして喜多流の節《ふし》を謡っている。観世流は上懸で声の出所が違うのだから節も違わなければならぬ」
 と大声疾呼して大いに上懸式の謡い方を鼓吹した一事を以てしても十分に察せられるであろう。
 日本の辺鄙《へんぴ》福岡地方の能楽を率いて洋風滔々の激流に対抗し、毅然としてこの国粋芸術を恪守《か
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