れたが、それといっても決して病気ではない。ただ樹木の枯れるように手足が不叶いになられただけで、健康には申分なく、そのまま枯れ果てて三年後の夏の何日であったかに、眠るが如く世を去られたまでの事であった。
 その亡くなられた当日の朝の事であった。
 門下の中でも一番の故老らしい品のいい二人の老人が、無論お名前なぞ忘れてしまったが、わざわざ私に面会に来られて翁の容態を色々尋ねられた後、実は老先生が亡くなられる前に聞いておきたい謡曲の秘事が唯一つ在る。それをお尋ねせずに老先生に亡くなられては甚だ残念であるが、その事を老先生にお尋ねする事を主治医の貴下にお許しを受けに伺った次第ですが……というナカナカ叮重《ていちょう》なお話であった。
 これには私も当惑した。むろん梅津先生は御重態どころではない。その前日の急変以来眼も、耳も、意識も全く混濁しているとしか思えないので、単に呼吸して居られる。脈が微《かすか》に手に触れるというだけの御容態である。御家族の方や私が御気分をお尋ねしても御返事をなさらない事が数日に及んでいる折柄で、面会などは主治医として当然、お断り申上げなければならない場合であったが、しかし又一方から考えてみると、その時は、その面会謝絶すらも無用と思わるる絶望状態で、何を申上げてもお耳に入る筈はない。御臨終の妨げになる心配はないと考えたから、折角《せっかく》の御希望をお止めするのは却《かえ》って心ない業ではあるまいかと気が付いて……それならば折角のお話ですから私が立会いの上でお尋ね下さい……と御返辞した。
 二人の老人は非常に喜ばれた。即刻、私と同伴して、程近い中庄《なかしょう》の老先生の枕頭に来られて、出来るだけ大きな声で、私にはチンプンカンプンわからない謡曲の秘伝らしい事を繰返し繰返し質問されたが、私の推察通り意識不明の御容態の事とて、老先生が御返事をなさる筈がない。短い息の下にスヤスヤと眠って居られるばかりである。
 二人の老人は暗然として顔を見合わせた。仕方なしに今度は御臨終に近い老先生の枕元で本を開いて、二人の御老人が同吟に謡い出した。
 それが何の曲であったか、もとより私の記憶に残っていよう筈もないが、たしか開かれた一枚の真中あたりまで謡って来られたと思ううちに老先生の呼吸が少し静かになって来た。そうして間もなく私が執っていた触れるか触れないか程度の脈搏が
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