)杉野助三郎 (間)在郷三五郎、生熊生
◇禰宜山伏《ねぎやまぶし》 (狂言)野村祐利、岸本作太、野田一造、秋吉見次
◇花筐《はながたみ》 (シテ)前田利鬯 (シテツレ)山崎友樹、安永要助 (ワキ)西島一平 (大鼓)吉村稱 (小鼓)河原田平助 (笛)中上正栄
◇鷺 (仕舞)梅津只圓
◇山姥 (囃子)(シテ)南郷茂光 (大鼓)吉村稱 (小鼓)河原田平助 (太鼓)国吉静衛 (笛)中上正栄
◇鉢木《はちのき》 (シテ)古市公威 (シテツレ)山田清太郎 (ワキ)小畑久太郎 (ワキツレ)吉浦彌平 (大鼓)高畠元永 (小鼓)斉村霞栖 (笛)中上正栄 (間)生熊生
◇鬮罪人《くじざいにん》 (狂言)高原神留、岩倉仁郎、生熊生、野村久、城戸甚次郎、秋吉見次
◇烏帽子折《えぼしおり》 (シテ)梅津朔造 (シテツレ)白木半蔵、上村又次郎、梅津昌吉、吉浦彌平、大野徳太郎、小田部正次郎、藤田平三郎、井上善作 (ワキ)小出久太郎 (ワキツレ)諸岡勝兵衛 (大鼓)宮崎逸朔 (小鼓)上田勇太郎 (太鼓)国吉静衛 (笛)辻儀七 (間)野村久、城戸甚次郎、野村祐利、岸本作太、高原神留
◇附祝言
[#ここで字下げ終わり]

 この能の両日、楽屋を指導監督していた翁の姿を見られた古市公威氏が帰途、車中で嘆息しながら独語賛嘆された。
「梅津只圓という者は聞きしに勝る立派な人物である。あのような品位ある能楽師を余はまだ嘗《かつ》て見た事がない」
 という話柄が今日に伝わっている。
 明治四十一年頃から翁の身体の不自由が甚だしくなって、座っていられない位であったが、それでも稽古は休まなかった。
 その明治四十一年か二年かの春であったと思う。梅津朔造氏が「隅田川」の能のお稽古を受けた。それは翁の最後のお能のお稽古であったが、翁は地謡《じうたい》座の前の椅子に腰をかけ、前に小机を置いてその上に置いた張盤《はりばん》を打って朔造氏の型を見ていた。地頭は例によって山本毎氏であったが、身体は弱っても翁の気象は衰えぬらしく、平生と変らぬ烈しい稽古ぶりであった。
 ところがその途中で翁が突然にウームと云って椅子の上に反《そ》り返ったので、近まわりの人々が馳け寄って抱き止めた。それから大騒ぎになって、附近の今泉に住んでいる権藤|国手《こくしゅ》を呼んで来る。親類に急報する。注射よ。薬よという混雑を呈したが、間もなく翁が寝床の上
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