返って手を振った。
「……要りませえん。不要《ブウヨウ》不要。それよりもこっちへお出《い》でなさあアイ」
 と手招きをしている。その態度がナカナカ熱心で、親子とも両手をあげて招くのだ。
「いかんいかん。こっちはなア……お前達の仕事を見ながら、講演をしなくちゃならん」
 と怒鳴ったが、コイツがわからなかったらしい。忰の友太郎がグイグイ綱を手繰《たぐ》って船を近寄せると、推進機《スクリュウ》の飛沫《しぶき》の中から吾輩を振り仰いで怒鳴った。
「……先生……先生……講演なんかお止めなさい。おやめなさい。あんな奴等に講演したって利き目はありません。それよりも御一所《ごいっしょ》に鯖を捕って釜山へ帰りましょう。黙ってこの綱を解けば、いつ離れたかわかりませんから……」
 というその態度がヤハリ尋常じゃなかったが、しかし遺憾ながら、その時の吾輩には気付かれなかった。
「イヤ。ソンナ事は出来ん。向うに誠意がなくとも、こっちには責任があるからなア。……ところで仕事はまだ沖の方で遣るのか」
「ええもうじきです、しかし暫く器械の音を止めてからでないと鯖は浮きません。どっちみち船から見えんくらい遠くに離れて仕事をするんですからこっちへ入らっしゃい。大切《だいじ》な御相談があるのです……どうぞ……先生……お願いですから……」
「馬鹿な事を云うな。行けんと云うたら行けん。それよりもなるべく船の近くで遣るようにしろ。器械の方はいつでも止めさせるから……」
「器械はコチラから止めさせます。どうぞ先生……」
 と云う声を聞き捨てて吾輩は又、甲板《デッキ》に引返して行ったが、この時の友太郎の異様な熱誠ぶりを、知らん顔をしてソッポを向いていた友吉|親仁《おやじ》の態度を怪しまなかったのが、吾輩|一期《いちご》の失策だった。或《あるい》はイクラかお神酒《みき》がまわっていたせいかも知れないがね。
 ところで甲板《デッキ》に引返してみると船はモウ十四海里も西へ廻っていて、絶影島は山の蔭になってしまっていた。そのうちに機械の音がピッタリと止まったから、扨《さて》はここから初めるのかな……と思って立上ると、飲んでいる連中も気が附いたと見えて、我勝ちに上甲板や下甲板の舷《ふなべり》へ雪崩《なだれ》かかって来た。
「どこだどこだ。どこに鯖がいるんだ」
 とキョロキョロする者もいれば、眼の前の山々に猥雑な名前を附けながら活弁マガイの潰れ声で説明するヒョーキン者もいる。中には芸者を舷《ふなばた》へ押し付けてキャアキャア云わしている者もいた。
 その鼻の先の海面へ、友吉おやじの禿頭《はげあたま》が、忰に艫櫓《ともろ》を押させながら、悠々と廻わって来た。見ると赤ん坊の頭ぐらいの爆弾と、火を点《つ》けた巻線香を両手に持って、船橋に立っている吾輩の顔を見い見い、何かしら意味ありげにニヤニヤ笑っている。忰の方は向うむきになっていたので良くわからなかったが、吾輩が見下しているうちに二度ばかり袖口で顔を拭いた。泣いているようにも見えたが、多分、潮飛沫《しおしぶき》でもかかったんだろうと思って、気にも止めずにいたもんだ。
 ……しかし……そのせいでもあるまいが、吾輩はこの時にヤット友吉おやじの態度を、おかしいと思い初めたものだ。
 第一……前にも云った通り吾輩はドンの実地作業を生れて初めて見るのだから、詳しい手順はわからなかったが、それでも友吉おやじの持っている爆弾が、嘗《かつ》て実見した押収品のドンよりもズット大きいように感じられた。……のみならず、まだ魚群も見えないのに巻線香に火を点《つ》けているのが、腑に落ちないと思ったが、しかし何しろ初めて見る仕事だからハッキリした疑いの起しようがない。これが友吉おやじ一流の遣り方かな……ぐらいに考えて一心に看守《みまも》っているだけの事であった。
 一方、甲板《デッキ》の上では「シッカリ遣れエ」という酔っ払いの怒号や、ハンカチを振りながらキーキー声で声援する芸妓《げいしゃ》連中の声が入乱れて、トテモ煮えくり返るような景気だ。そのうちに慶北丸の惰力がダンダンと弛《ゆる》んで来て、小船の方が先に出かかると、友吉おやじは忰に命じて櫓を止めさせた。……と思ううちに、その舳先《へさき》に仁王立ちになった向う鉢巻の友吉おやじが、巻線香と爆弾を高々と差し上げながら、何やら饒舌《しゃべ》り初めた。
 船の中が忽ちピッタリと静かになった。吾輩も、友吉おやじが吾輩の代りになって講演を初めるのかと思って、ちょっと度肝《どぎも》を抜かれたが、間もなく非常な興味をもって、皆と一緒に傾聴した。
 友吉おやじの塩辛《しおから》声は、少々上ずっていたが、よく透った。ことに頭から日光を浴びたその顔色は頗《すこぶ》る平然たるもので、寧《むし》ろ勇気凜々たるものがあった。
「……皆さん……
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