「……というのは、ほかの問題でもない。その爆弾漁業の実演者についてこっちにも一つ心当りがあるのだ。その人間はズット以前にドンを遣っていた経験のある人間だが、当局の諸君は勿論の事、一般の漁業関係の諸君が、その人間の過去を絶対に問わない約束をするなら、その生命《いのち》がけの仕事に推薦してみよう。現在ではスッカリ改心して、実直な仕事をしているばかりでなく、素敵もない爆弾漁業通だから将来共に、君等のお役に立つ人間じゃないかと思うが……」
と切り出してみた。これはかねてから日蔭者《ひかげもの》でいた林友吉を、どうかして大手を振って歩けるようにして遣りたいと思っていた矢先だったから、絶好の機会《チャンス》と思って提案した訳だったがね。
するとこの計略が図に当って、忽《たちま》ちのうちに警察、裁判所連の諒解を得た。……それは一体どんな人間だ……と好奇の眼を光らせる連中もいるという調子だったから、吾輩、手を揉み合わせて喜んだね。早速横ッ飛びに本町の事務室に帰って来て、小使部屋を覗いてみると、友吉|親仁《おやじ》は忰と差向いでヘボ将棋を指している。そいつを捕まえてこの事を相談すると、喜ぶかと思いのほか、案外極まる不機嫌な面《つら》を膨《ふく》らましたもんだ。
「それはドウモ困ります。私は日蔭者で沢山なので、先生のために生命《いのち》を棄てるよりほかに何の望みもない人間です。あんなヘッポコ役人の御機嫌を取って、罪を赦《ゆる》してもらう位いなら、モウ一度、玄海灘で褌《ふんどし》の洗濯をします。まあ御免蒙りまっしょう」
というニベもない挨拶だ。将棋盤から顔も上げようとしない。このおやじ[#「おやじ」に傍点]がコンナ調子になったら梃《てこ》でも動かない前例があるから弱ったよ。
「しかし俺が承知したんだから遣ってくれなくちゃ困るじゃないか。今更、そんな人間はいなかったとは云えんじゃないか」
とハラハラしながら高飛車をかけて見ると、おやじはイヨイヨ面《つら》を膨らました。
「それだから先生は困るというのです。アノ飲み助のお医者さんも云い御座った。先生は演説病に取付かれて御座るから世間の事はチョットもわからん。しかしあの病気ばっかりは薬の盛りようがないと云って御座ったがマッタクじゃ。……一体先生は、アイツ等が本気で爆漁実演《ドン》を見たがっていると思うていなさるのですか」
と手駒を放り出して突っかかって来た。イヤ。受太刀《うけたち》にも何にも吾輩、返事に詰まってしまったよ。実をいうと二日間の講演をタッタ三時間に値切られてしまった不平が、まだどこかにコビリ付いていたんだからね。こう云われると頭が妙に混線してしまった。そのまま眼をパチパチさせていると、おやじはイヨイヨ勢い込んで突っかかって来る。
「……先生は駄目だよ。演説バッカリ上手で、カンが働らかんからダメだ。その役人連中の云い草一つで、チャンと向うの腹が見え透いているじゃありませんか。……ツイこの間も云うたでしょう。今度初まった爆弾漁業《ドン》の仕事ぶりが、どうも私の腑《ふ》に落ちんところがある。この前のドン退治の時と違うて検挙の数がまことに少ないし、評判もサッパリ立たん。その癖に、下関《しものせき》から上がる鯖の模様を船頭連中に問うてみるとトテモ大層なものじゃ……昔の何層倍に当るかわからんという。値段も五六年前の半分か、三分の一というから生やさしい景気じゃない。不思議な事もあればあるもの……理屈がサッパリわからんと思うとったが、わからんも道理じゃ。彼奴《きゃつ》等はこの前に懲《こ》りて、用心に用心を踏んで仕事に掛かってケツカル。朝鮮中の役所という役所の当り当りにスッカリ手を廻わして、仲間外れの抜け漁業《ドン》ばっかりを検挙させよるから、吾々の眼に止まらんです。……今来ているそこ、ここの有力者というのは、一人残らずそのドン仲間の親分株で、役人連中は皆、薬のまわっとるテレンキューばっかりに違いありません。そいつ等《ら》が、先生に睨まれんように、わざと頬冠りをして聞きに来とるに違いないのです。それじゃケニ先生の演説が聞きともないバッカリに、そげな桁行《けたはず》れの註文を出しよったのです。……それが先生にはわかりませんか……」
と眼の色を変えて腕を捲くったもんだ。
今から考えるとこの時に、このおやじの云う事を聞いていたら、コンナ眼にも会わずに済んだんだね。……このおやじの千里眼、順風耳《じゅんぷうじ》のモノスゴサを今となって身ぶるいするほど思い知らされたものだが、しかしこの時には所謂《いわゆる》、騎虎《きこ》の勢いという奴だった。そういう友吉おやじを頭から笑殺してしまったものだ。
「アハハハ。馬鹿な。それは貴様一流の曲り根性というものだ。お前は役人とか金持ちとかいうと、直ぐに白い眼で見る癖がある
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