ってやるから」と云うていた。そうしたら先生が来て助けてくれた。……ウチは今年十二になる。ドンは怖くない。面白い……」
 というのだ。ウン。とてもシッカリした奴なんだ。第一そういう面魂《つらだましい》が尋常じゃなかったよ。お乳母日傘《んばひがさ》でハトポッポーなんていった奴とは育ちが違うんだからね……。
 ……ウンウン。そうなんだ。つまり彼等仲間の所謂「私刑《ノメシ》」に処せられた訳だ。その紋付袴の男が誰だったか、今だに調べてもいないが、むろん調べる迄もない。林友吉の頭脳《あたま》と仕事ぶりを警戒していた、釜山の有力者の一人に相違ないのだ。そいつが友吉親子の顔を見知っていたので、それとなく貰い下げて追い放した奴を、外海《そとうみ》で待伏せていた配下の奴が殺《や》ったものに違いないね。……もっとも友吉おやじがその筋の手にかかったのはこの時が皮切りだったから、或《あるい》は余計な事でも饒舌《しゃべ》られては困る……という算段《つもり》だったかも知れないがね……。
 とにかく、そんな訳で舟を漕ぎ漕ぎ友太郎の話を聞いて行くうちにアラカタの事情《ようす》がわかると吾輩大いに考えたよ。……待て待て……この子供を育て上げて、この復讐心を利用しながら爆薬漁業の裏道を探らせたら、存外面白い成績が上がるかも知れん。かなり気の永い話だが五年や十年で絶滅する不正爆薬ではあるまいし、急がば廻われという事もある。それにはこの死骸を極《ごく》秘密裡に片付けて、忰を日蔭物《ひかげもの》にしないようにしなければならぬ。普通の墓地に葬って墓を建ててやらねばならぬが、何とか名案は無いものか……と色々考えまわしているうちに釜山港に這入った。そこで夕暗《ゆうやみ》に紛れて本町一丁目の魚市場の蔭に舟を寄せると、吾輩の麦稈帽《むぎわらぼう》を眉深《まぶか》に冠せた友吉の屍体を、西洋手拭で頬冠りした吾輩の背中に帯で括《くく》り付けた。片手に友太郎の手を索《ひ》いて、程近い渡船場|際《ぎわ》の医者の家へ辿り付いたものだが、その苦心といったらなかったよ。夕方になると市が立って、朝鮮人がゾロゾロ出て来る処だからね。
 ところで又、その医者というのが吾輩の親友で、鶴髪《かくはつ》、童顔、白髯《はくぜん》という立派な風采の先生だったが、トテモ仕様のない泥酔漢《のんだくれ》の貧乏|老爺《おやじ》なんだ。そいつが吾輩と同様|独身者《ひとりもの》の晩酌で、羽化登仙《うかとうせん》しかけているところへ、友吉の屍体を担《かつ》ぎ込んで、何でもいいから黙って死亡診断書を書いてくれと云うと、鶴髪童顔先生フラフラの大ニコニコで念入りに診察していたが、そのうちに大声で笑い出したものだ。
「……アッハッハッハッ。折角持って来なすったが、これは死亡診断を書く訳にいかんわい。まだ脈が在るようじゃ。アッハッハッハッハッ……」
 という御託宣だ。……馬鹿馬鹿しい。何を吐《ぬ》かす……とは思ったが、忰が飛び上って喜ぶし、呑兵衛《のんべえ》ドクトルも、
「……拙者が請合って預かろう。行くか行かんか注射をしてみたい……」
 と云うから、どうでもなれと思って勝手にさしておいたら……ドウダイ。二日目の朝になったら眼を開いて口を利くようになった。
 傷口も処々乾いて来た。熱も最早《もう》引き加減……という報告じゃないか。呑兵衛先生、案外の名医だったんだね。おまけに忰の友太郎が又、古今無双の親孝行者で、二晩の間ツラリ[#「ツラリ」に傍点]ともしない介抱ぶりには、流石《さすが》のワシも泣かされた……という老|医師《ドクトル》の涙語りだ。
 そこで吾輩もヤット安心して、組合の仕事に没頭しているうちに、忘れるともなく忘れていると、二三週間経つうちに、それまでチョイチョイ吾輩の処へ飲みに来ていた老|医師《ドクトル》がパッタリと来なくなった。……ハテ。可笑《おか》しい……もしや患者の容態が変ったのじゃないか知らん。それとも呑兵衛先生御自身が、中気《ちゅうき》にでもかかったのじゃないか知らん……考えているうちに、急に心配になって来たから、チットばかりの金《かね》を懐中《ふところ》に入れて、医院《せんせい》の門口《かどぐち》から覗き込んでみると、開いた口が三十分ばかり塞がらなかった。
 鬚《ひげ》だらけの脱獄囚みたいな友吉おやじと、鶴髪童顔、長髯の神仙じみた老ドクトルが、グラグラ煮立《にえた》った味噌汁と虎鰒《とらふぐ》の鉢を真中に、片肌脱ぎか何かの差向いで、熱燗《あつかん》のコップを交換しているじゃないか。おまけに酌をしている忰の友太郎を捕まえて、
「……野郎。この事を轟の親方に告口《つげぐち》しやがったらタラバ蟹《がに》の中へタタキ込むぞ」
 と怒鳴っているのには腰を抜かしたよ。医者が医者なら病人も病人だ。世の中にはドンナ豪傑がいるか知
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