「……あっ……轟先生。ちょうどいい。一所《いっしょ》に来て下さい」
 と云ううちに吾輩を引っぱって、客室の横の階段から廊下伝いに混雑を避けながら、誰も居ない船首へ出た。その時に非常汽笛がパッタリと鳴り止んだので、急に淋しく、モノスゴクなったような気がしたが、そこで改めて来島の顔を見ると、眼に泪《なみだ》を一パイ溜め、青い顔をしている。友太郎の事を考えているのだろうと思ったが、しかし二人とも口には出さなかった。来島は落付いて云った。
「……轟先生……損害は軽いんです。汽笛《ふえ》なんか鳴らしたから不可《いけ》なかったんです。……傾《かし》いだ原因はまだ判然《わか》りませんが、船底の銅版《あか》と、木板《いた》の境い目二尺に五尺ばかりグザグザに遣られただけなんです。都合よく反対に傾《かし》いだお蔭で、モウ水面に出かかっているんですから、外から仕事をした方が早いと思うんです。済みませんが先生、この道具袋《フクロ》を持って飛込んでくれませんか。水夫も火夫もみんなポンプに掛り切っていて手が足りないんですから……浮袋《ブイ》を離してはいけませんよ。仕事が出来ませんから……いいですか……」
 吾輩は一も二もなくこの若造の命令に従って海に飛込んだ。イザとなると覚悟のいい奴には敵《かな》わないね。

 ところが、それから引続いた来島の働らき振りには吾輩イヨイヨ舌を捲かされたもんだよ。溺れている人間なんか見向きもしない。一生懸命で、上からブラ下げた綱に縋《すが》りながら、船の横っ腹に取付いて、穴の周囲にポンポンポンと釘を打ち並べると、八番ぐらいの銅線を縦横十文字《じゅうおうむじん》に引っかけまわした。その上から帆布《キャンバス》を当てがって、片っ方から順々に大釘で止めて行く……最後に残った一尺四方ばかりの穴から猛烈に走り込む水を、針金に押し当てがった帆布《キャンバス》で巧みにアシライながら遮り止めてしまった。その上からモウ二枚|帆布《キャンバス》を当てがって、周囲《まわり》をピッシリ釘付けにして、その上からモウ一つ、流れていた櫂《オール》を三本並べながら、鎹釘《かすがい》で頑丈にタタキ付けてしまった。どこで研究したものか知らないが、百人ばかりの生命《いのち》の親様だ。思わず頭が下がったよ。
 その吾々が仕事をしている二三|間《げん》向うには、端舟《ボート》の釣綱《つりつな》が二本、中
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