けい》という奴があるがアンタのは酒痙じゃろう。今に杯が持たれぬようになるよ。ハハハハ。とにかく暫く書くのを止めた方が宜《え》え。そうなるとイヨイヨ気が急《せ》くのが病気の特徴じゃが、そこで無理をしよると脳髄《のうずい》の血管がパンクする虞《おそ》れがある。そうなったら万事休すじゃ。拙者もアンマリ飲みに来んようにしよう」
といったアンバイで、気の毒そうに威《おど》かしやがるんだ。
そこで吾輩も殆んど筆を投《とう》ぜざるを得なくなった。刀折れ、矢|竭《つ》きた形だね。
……蒼天蒼天……吾輩の一生もこのまんま泣き寝入りになるのか。回天の事業、独力を奈何《いかん》せん……と人知れず哀号《アイゴー》を唱えているところへ又、天なる哉《かな》、命《めい》なる哉と来た。……彼《か》の林《りん》青年……友吉の忰の友太郎が今年の盂蘭盆《うらぼん》の十二日の晩に、ヒョッコリと帰って来たのには胆《きも》を潰したよ。
ちょうどその十二日の正午過ぎの事だった。友吉の大好物だった虎鰒《とらふぐ》を、絶壁《がけ》の下から投上げてくれた漁師《やつ》があったからね。今の呑兵衛|老医《ドクトル》と、非番だった慶北丸の来島運転士を、その漁師に言伝《ことづけ》て呼寄せると、この縁側で月を相手に一杯やりながら、心ばかりの弔意を表しているところだった。何とかカンとか云っているうちに呑兵衛ドクトルもずるずるべったりに座り込んだ訳だ。
むろん話といったら外にない。友吉おやじで持ち切りだ。
「結局、友吉おやじは諦めるとしても、あの忰の友太郎だけは惜しかったですね」
と来島が暗涙を浮かめて云った。
「……ウン。吾輩も諦らめ切れん。あの時に櫓柄へヘバリ付いていた肉の一片《ひときれ》をウッカリ洗い落してしまったが、あれは多分、友太郎のだったかも知れない。今思い出しても涙が出るよ」
呑兵衛ドクトルも眼を赤くして関羽鬚《かんうひげ》をしごいた。
「……ハハア……それは惜しい事じゃったなあ。あの子供の親孝心には拙者も泣かされたものじゃったが……その肉を拙者がアルコール漬にして保存しておきたかったナ。広瀬中佐の肉のアルコール漬がどこぞに保存して在るという話じゃが……ちょうど忠孝の対照になるからのう……」
「飛《と》んでもない。役人に見せたら忠と不忠の対照でさあ。僕を社会主義者と間違える位ですからね……ハハハハ……」
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