したが、やがて悲し気に低頭《うなだ》れて――
「妾はもとは桃色の花が大好きで御座いましたが、今は青いのが大好きになりました」
 とこう御返事を申し上げました。すると王様は暫くの間何のお言葉もなく、棒のように突立っておいでになる様子ですから不思議に思って、姫はヒョイとお顔を見上げますと、こは如何に。王の顔はいつの間にか恐ろしい青鬼の顔に変っていました。
 姫は気絶する程驚いて、そのままあとも見返らずに、夢中で王宮を走り出て自分の家《うち》に逃げ帰りましたが、門を這入るとほっと一息安心すると一所に、急に淋しく悲しくなりました。そうして早くお父様やお母様に会おうと思って、家中を探しましたが、家は只一日しか留守にしないのに、ガランとした空家になって、庭には草が茫々と生い茂り、池の水も涸れてしまって、まるで様子が変っています。濃紅姫はこの有様を見て、何だかもう堪らない程悲しくなって来て、思わずそこに泣き倒れようとしますと、不意にうしろから兄様の紅矢が来て抱き止めて、何をそんなに泣いているのだと尋ねました。姫は嬉しさの余り紅矢に獅噛《しが》み付いて――
「あッ。お兄様。お父さまやお母様やそれからあの美紅はどこに居ますか」
 と聞きました。すると紅矢はニコニコ笑いながら――
「妹は兄さんのお使いで今一寸|他所《よそ》へ行っている。それから御両親は今遠い処へお出でになっているが、そこを知っているのはあの『瞬』だけだ。丁度今『瞬』は門の前の馬車に繋いであるから、あれに乗って行ったら会えるだろう」
 と申しました。姫は直ぐにその気になりまして、急いで門の前に引き返して見ますと、兄様の言葉の通り、「瞬」が馬車を引っぱって、そこにちゃんと待っていましたから、直ぐに飛び乗って手綱を取り上げて、鞭を高く鳴らしました。
 馬車は野を越え川を渡って、山を乗り越し谷を飛び渡りながら、北の方へ流星のように走りましたが、やがて涯《はて》しもなく広い砂原へ来ますと、轍《わだち》が砂の中へ沈んで一歩も進まなくなりましたから、今度は馬車を乗り棄てて徒歩《かち》で行きました。やがて四方には何も見えず、只砂の山と雲の峰ばかり見える処に出ましたが、そこには山のように大きな石で出来た男が寝ていまして、濃紅姫を見るとむっくりと起き上って、見かけに似合わぬ細い優しい声で――
「お前さんはこんな処へ何しに来たのだ。どこから来てどこへ行くのだ」
 と尋ねました。姫はこの石男のあまり大きいのに吃驚《びっくり》して、暫くは返事も何も出来ませんでしたが、併し別に悪い者でもなさそうですから、今までの自分の身の上をすっかり話して、何卒《どうぞ》お父さまやお母様に会わして下さいと頼みました。石男は濃紅姫の身の上話を聞きますと、どうした訳か解かりませんが大層歎き悲しみました。そうして吾れと自分の頭の毛を掻《か》きむしって――
「吁《ああ》。皆《みんな》俺が悪いのだ」
 と泣きながら水晶の玉を眼からぼろぼろと落していましたが、やがて気を取り直しまして、濃紅姫に向って親切に――
「噫《ああ》、お嬢様。貴女《あなた》がそんなに非道《ひど》い目にお会いになるのは、皆私が悪いからで御座います。何卒《どうぞ》御勘弁なすって下さいまし。けれども今更どうする事も出来ませぬから、その代り貴女に御両親のおいでになる処を教えてあげましょう。そこへ行って貴女は今までの苦労をすっかり忘れて、楽しく眠っておいでなさい。決して眼を覚ましてはいけませぬよ。眼を覚ますと貴女は又、あの恐ろしい藍丸王や海の女王の処に帰って、悲しい目を見なければなりませぬから、そのおつもりでいらっしゃい。貴女はこれから真直に北の方へ、どこまでも歩いてお出でなさい。そうすれば決定《きっと》そこで貴女の御両親にお会いなさるでしょう。左様なら。御機嫌よう。可愛い、可愛い濃紅姫」
 と云うかと思うと、そのまま又もやゴロリと仰向《あおむ》けに引っくり返って眠ってしまいました。
 姫はこの石男に別れてから、その教えの通りに猶《なお》ずんずんと北に向って進んで行きますと、やがて日が暮れ初めた頃、向うに火に柱を吹き出している岩山と、その火の柱の光りに輝やいている一つの湖が見えて来ました。その火の柱の美しい事。まるで千も万もの花火を一時に連《つづ》けて打ち上げるようで、紅《あか》や青や黄色やその他|種々《いろいろ》の火花が散り乱れて、大空に舞《ま》い昇《あが》っていましたが、不思議な事にはその轟々《ごうごう》と鳴る音をじっと聞いていますと、お父様の声のように思われるではありませぬか。濃紅姫は嬉しくて堪らず、足の疲れも忘れてなおも進んで行きますと、やがて今度はどこからとなく懐かしいお母様の声が聞こえて来ました。姫は思わずその声の方に誘われて、その方へ迷って行きますと、やがて
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