から2字下げ]
のこる怨み白くれなゐの花盛り
あまたの人をきりしたん寺
寛永六年五月吉日
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ]鬼三郎しるす
× × ×
それから十四五日経ってから例の古道具屋の貫七|爺《じい》が又遣って来た。骨だらけの身体《からだ》に糊の利いた浴衣、絽《ろ》の羽織を引っかけて扇をパチパチいわせている姿は如何にも涼しそうである。
私は夏肥りに倦《たる》み切った身体《からだ》を扇風器に預けていた。
「あの白い花の正体がおわかりになりましたでしょうか」
「ウン。わかったよ。九大農学部に僕の友人が居ると云ったね」
「ヘエヘエ。たしか加藤博士様とか」
「馬鹿。そんな事云やしないぜ。第一博士じゃない。富士川といって普通の学士だがね。所謂万年学士という奴だ。植物の名前なら知らないものはないという」
「ヘイ。エライもので御座いますな」
「そいつにあの花を送って調べさしてやったら、いくら研究しても隠元豆に相違ないと云うんだ」
「ヘエッ。どちらが隠元豆なんで……」
「どっちも隠元豆なんだ」
「テヘッ。飛んだ変幻豆でげすな」
「洒落にもならない話だよ。もっとも隠元豆にも色々あるそうで、何十通りとか変り種がある。その中でもあの紅《あか》い方のは、昔から観賞植物になっていたベニバナ・インゲンという奴で、白い方のが普通の隠元豆なんだが、素人眼《しろうとめ》には花の色を見ない限りちょっと区別が付きにくいという」
「成る程。奇妙なお話もあればあるものでげすな。ヘエ」
「まったくだよ。そこでその富士川って学士も念のために、わざわざ清滝の切支丹寺まで行って調べて来たんだそうだが、すっかり野生になっているので、いよいよ紅花隠元《べにばないんげん》に似ていたという。吾々が見たってわからない筈だよ」
「ヘエッ。どうしてソレが又、入れ代ったんで……」
「何でもない事さ。君はこの書付を読んだかい。鬼三郎の一代記を……」
「ヘエ。初めと、おしまいの方をちっとばかり拝見致しましたが」
「ウン、この中に書いてある寺男の馬十という奴が、近いうちに主人公の鬼三郎に殺される事を知っていたんだね。だから今の紅花隠元を蒔くふりをして実は普通《あたりまえ》の隠元豆を蒔いといたんだよ。ちゃんとわかっている」
「ヘエ。驚きましたね。しかし旦那様。酔狂な死に方をする奴が、あればあるもので御座いますねえ」
「それあ今だって在るよ。班長殿から死ねと云われましたと遺書を残して自殺する兵隊も居る位だからね。こんな風にヒネクレていた奴なら遣りかねないだろう。好いた女と一所に殺されて、後に祟りを残すなんて仕事が、馬十の痴呆《ほう》けた頭には、たまらなく楽しみだったかも知れないね」
「ヘエヘエ。成る程ナ。しかし旦那様。その切支丹の跡を御別荘にお求めになりますか。如何でげしょうか。実はまだ区長さんの処に下駄を預けておりまするが」
「まあ見合わせようよ。折角だが……この刀を抜いて見ただけでも妙に涼しくなって、ゾクゾクして来るようだからね。ハッハッハッハッハッハッ……」
底本:「夢野久作全集10」ちくま文庫、筑摩書房
1992(平成4)年10月22日第1刷発行
入力:柴田卓治
校正:ちはる
2001年4月11日公開
2006年2月24日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全15ページ中15ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング