てよく見れば、長崎にて噂にのみ聞きし南蛮新渡来の燧器械付《ひうちぎかいつき》、二|聯筒《れんづゝ》なり。使ひ狃《な》れたる和尚の物腰、体の構へ、寸毫の逃るゝ隙も見えざりけり。
さては此の和尚。天台寺の住寺とは佯《いつは》り。まことは切支丹《キリシタン》婆天蓮《バテレン》の徒《ともがら》と思ひしが、それも佯《いつは》り。そのまことは、かゝる山中に潜み隠れ居る山賊夜盗の首領なりしかと今更に肝を消しつ。片面鬼三郎生年二十四歳、此処に生命《いのち》を終るかと観念の眼を閉ぢむとする折しもあれ、和尚の背後、方丈に通ふ明障子《あかりしやうじ》の半《なかば》開きたる間より紫色の美しき物影チラ/\と動けり。最前見たる色若衆《いろわかしゆ》と思《おぼ》しく半面をあらはして秘かに打ち笑《ゑ》みつ。手真似にて斬れ/\。その鉄砲は無効々々《だめだめ》と手を振る体なり。
扨《さて》は天の助くる処か。心は神業《かみわざ》。運命は悪魔のわざとこそ聞け。一か八かと思ふ間あらせず。背後の上り框《かまち》に立架《たてか》けたる錫杖取る手も遅く、仕込みたる直江志津の銘刀抜く手も見せず。真正面より斬りかゝる。その時、和尚の手中の火打《ひうち》種子島《たねがしま》、パチリと音せしのみにて轟薬発せず。その毛だらけなる熊の如き手首、種子島を握りたるまゝ、わが切尖《きつさき》にかゝりて板の間へ落ち転《ころ》めけば、和尚悪獣の如き悲鳴を揚げ、方丈の方《かた》へ逃げ行かむとするに、彼《か》の若衆、隔ての障子を物蔭より詰めやしたりけむ。一寸も動かず。驚き周章《あわ》てゝ押破らむとする和尚の背後より跳《をど》りかゝり、左の肩より大袈裟がけに切りなぐり、板の間に引き倒ふして止刺刀《とゞめ》を刺す。
われ、生れて初めての強敵を刺止《しと》めし事とて、ほつと一息、長き溜息しつゝ、あたり見まはす折しもあれ最前の若衆、血飛沫《ちしぶき》乱れ流れたる明障子《あかりしやうじ》を颯《さつ》と開きて走り寄り、わが腰衣《こしごろも》に縋り付きつゝ、やよ鬼三郎ぬし。わらはを見忘れ給ひしかと云ふ。驚きて振上げし血刀を控へつゝ、よく/\見れば這《こ》は如何に。故郷唐津にて三々九度の盃済ましたるまゝ閨《ねや》の中より別れ来りし彼《か》の花嫁御お奈美殿にぞありける。
こは夢か。まぼろしか。如何にして斯《か》かる処に居給ふぞ。此の和尚は御身の如何なる縁故《えにし》に当る人ぞと畳みかけて問ひ掛くるに、その時、お奈美殿の落付きやう尋常ならず。そのお話は後より申上ぐべし。まづ/\此の死骸を片付くるこそ肝要ならめ。参詣の人々の眼に止まりなば悪《あ》しかりなむ。こや/\馬十よ/\。お客様に水参ゐらせぬか。荒縄持ちて来らずやと手をたゝくに、最前の逞ましき寺男、勝手口より落付払ひて、のそ/\と入り来り、改めてわれに一礼し、柄杓《ひしやく》の水を茶碗に取りてわれにすゝめ、和尚の死骸を情容赦もなくクル/\と菰《こも》に包み、荒縄に引つくゝりて土間へ卸しつ。さて血潮にまみれたる障子と板の間を引き剥がし、裏口を流るゝ谷川へ片端《かたはし》より投込む体《てい》、事も無げなる其面《そのおも》もち。白痴か狂人かと疑はれ、無気味にも亦恐ろしゝ。
かゝる間に若衆姿の奈美殿は、方丈の方《かた》の寝床を片付けて、われを伴ひ入り、かぐはしき新茶をすゝめつゝ語るやう。さるにても御身の唐津を立|退《の》き給ひし時、申すも恥かしき吾が不躾《ぶしつけ》、御咎めも無く、わが心根を察し賜はりて、継母と仲人への怨《うらみ》を晴らし賜はりし男らしき御仕打ち、今更に勿体なく有難く、これをしも恋心とや云ふらん。恐ろしかりし鬼三郎ぬしの御顔ばせ夜毎、日毎に頼もしく神々しく、面影に立ち優り侍《はべ》り。
さは去りながら其折の藩内の騒動は一方ならず。御身の御両親も、わが父君も家道不取締の廉《かど》を以て程なく家碌を召し放され給ひつ。そが中に御身の御両親、御兄弟の御行末は如何《いかゞ》ありけむ。わが身は父上と共に家財を売代《うりしろ》なし、親子の巡礼の姿となりて四国路さして行く程もなく、此の山中に迷ひ入り、此の寺に一夜の宿を借り候ひぬ。
去る程に此寺の住持なりし彼《か》の和尚は、もと高野山より出でたる真言の祈祷師にて御朱印船に乗りて呂宋《ルソン》に渡り、彼《かの》地にて切支丹の秘法を学び、日本に帰りて此の廃寺を起し、自ら住持となりし万豪|阿闍梨《あじやり》と申す者に侍《はべ》り。先程より察し給へる如く、世にも恐ろしき悪僧にして、山々の尾根/\を駈けめぐる事、わが庭内の如く、火打鉄砲にて峠々の旅人を脅やかし殺し、奪ひ取りし金銀財宝を本堂の床下に積み蓄へ、女と見れば切支丹秘法の魔薬にかけて伴ひ来り、有無を云はさず意に従へ、共々に快楽に耽《ふけ》り、やがて又、新しき女性を
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