ある。
能楽では、何万という登場者があるべき舞台面を僅かに二人か三人で片付ける事が珍らしくない。そうしてその何万という群集の感じは演者の表現力……逆に云えば観客の芸術的直感力に訴えて現実以上に印象深く描き表わされるので、受ける感じの美くしさも亦幾層倍するのである。すなわち現実に何万人を並べた感じは、見物に客観的な事実感を与えるだけの力しかないが、それが舞い手……殊に仮面の舞台効果(面《おもて》のこうした不可思議な且つ偉大な表現力がどこから生れて来るか……という事は後に述べる)によって描きあらわされると、それだけの人間が居る気分、もしくは情緒だけが観客に受け取られるばかりで、そんな夥しい実在物の息苦しい、重々しい、且つ間の抜けた感じは絶対に受けない事になるのである。
現在の能で最も出演者の多いのは十四五名であるが、これは特別で、普通は五六名以下である。その中で見た眼に感銘が深く、演る方も気が乗って緊張した舞台面を作り得るのは二人切りのもので、曲そのものもよく出来ているのが多いし、曲の数も亦|些《すくな》くない。
その出演者は、主演者一人(シテ)、主演者補助一人又は数人(シテツレ)、子役一人もしくは数名(コガタ)、助演者一人(ワキ)、助演者補助一人又は数名(ワキツレ)の五種類で、大別すると主演者の一団(シテ方)と助演者の一団(ワキ方)となる。二人切りの能は主演者と助演者と二人だけである。
能の曲目の大部分は主演者一人を舞わせるのを主眼としてあるので、その他の四種類の登場者は、その主演者の相手役、背景、もしくは主演者の舞を釣り出すべき舞台気分の演出役として登場して、主演者の演出を引立てる事のみに専念する。従《したが》って動き等も主演者より遥かに些いのが通例である。
尚この他に、狂言方という一種の道化役があって、能の一要素となっているが、こちらは私に体験がないから説明を略する。ただ、前述の助演者の一団と、狂言方の一団とは、主演者の一団と相|対峙《たいじ》して、それぞれ専門的の研究を遂げ、一家を成している事を付言しておく。
監 督
能を見ると、前述の舞い手、謡い手、囃方のほかに、謡い手と同じ礼装をした人間が一人もしくは二人、舞台の後方に座っている。これは後見(コウケン)というもので、二人居る場合には、向って左側に居るのが舞台監督、右側に居るのがその補助者である。
監督はその能の一曲の初めから終るまでの舞台面に対して一切の責任を持っている。
譬えば出演中の主演者とか、その他の登場者とかに事故が出来て演主が不可能になった場合は、礼服のまま代って勤める。だから監督は通常の場合、主演者と同等以上の芸力がなければならぬ。第一流の人が主演者となった場合には、止むを得ずその主演者の最高の弟子が監督を引き受ける。又監督はその能の舞台面に於ける凡ての欠点を、謡、舞、囃子、装束、道具、その他何によらず出来るだけ眼に付かぬように正さねばならぬ。すなわちその能の最後の責任は常に監督の双肩に在るので、監督が確《しっか》りしていないと主演者は安心して舞えない。
ここでチョット演出に関する出演者の責任関係を述べる。囃子のリズムをリードする責任者は普通太鼓で、太鼓が出ると、太鼓がリード役になる。そうして囃方は一団となって地謡い(合唱隊)や主演者、助演者の謡もしくは笛のリズムにくっ付いて行く。
合唱の責任者は中央(二列の場合は後方の中央……二列以上の場合はない)の一人で、合唱全部をリードしつつ、舞い手(主演、助演の各役)の舞いぶりや謡いぶりにリードされつつ調和し変化して行く。
舞い手は自分の仮面と装束とによって全局のリズムを支配しつつ、背後の監督に対して責任を負いつつ舞う。=註に曰《いわ》く=これは私だけの考えかも知れない。しかし能はかくあるべきものと思う。何故かと云うと、観客に対して責任を負う芸術は必ずや極めて堕落したものに違いないからで、結局、向う受け本位の芸術となるからである。芸術のための芸術として能が存在している以上、舞い手は観客の観賞眼を本位としてはならぬ。自分の芸の欠点を最も看破し易い位置に座っている監督の耳目に対して責任を負いつつ舞い謡うのが正直と思う。
こう云って来ると、能の全局面で、観客に対して責任を負うている者は監督唯一人となる。しかもその演出が失敗した場合は全然監督の責任に帰するが、無事成功の場合は監督の手柄にはならない。唯楽屋に這入《はい》ってから、舞い手にお礼を云われるだけである。馬鹿馬鹿しい話であるが、能の真面目はそこに在ると思う。
尚、前に述べたような間違いのない場合には監督の責任は極めて単純である。只常に緊張した注意を全局に払って居ればよい。そうして舞い手が扮装する場合、又は笠とか杖とか、刀とか扇とかを棄てる場合は一定しているから、その場合に眼立たぬ態度で拾って来る。又は造物《つくりもの》、床几《しょうぎ》等を出したり入れたり按配《あんばい》したりする加減に注意するので、そんな仕事のない能では、初めからしまいまで唯座っているきりである。
いずれにしても能の舞台面で一番エライ人は、何と云っても監督で、その舞台面の現実的な守り神である。
能は常に以上の諸要素を以て、舞台面上に別|乾坤《けんこん》を形成して行く。
彫刻のたとえ
能楽は過去現在未来を貫いて、如何なる方面に進化して行きつつあるか……という事は以上述べて来たところに依って、あらかた察せられた事と思う。
併《しか》し、尚ここに別項を設けて、今|些《すこ》しハッキリと私見を述べておきたいと思う。
すなわち、能楽の進化の中心を一直線にして云いあらわすと繁雑から単純へ……換言すれば外形的から内面的へ……客観から主観へ……写実から抽象へ……もう一つ突込んで云えば物質から精神へ……という事になる。
私は思う。すべての芸術の進化の方面は唯二つしかない……と……。
たとえば先ず、ここに一人の芸術家アルファがあらわれて、初めて彫刻という芸術を創始したとする。そうして一生の中にA、B、C、D、E……という風に色々の標題の彫刻を作って死ぬ。
そうするとその後を嗣《つ》いだ弟子のビータは、師たり、先輩たるアルファの残した作品を観賞研究し、更に今一歩進んだ芸術的心境を盛り込んだL、M、N、O、P、Q……という数百千の彫刻を作って死ぬ。その次のガムマも亦同様の仕事を繰返して死ぬ……という順序で、人類世界に存在する彫刻作品の数は殖《ふ》えるばかり。すなわち、その芸術が進歩向上して行くに連れて、新しい作品が無限に数を増して行く……という……これが芸術の進化の一方法で、現在地球の表面上に於ける大部分の芸術はこの方法によって進化向上しつつあるようである。
然るに今一つの進化の仕方はこれと正反対で、進歩すると共に減って行くという行き方である。
すなわち、第一代の彫刻家Aが作った甲乙丙丁以下数百千の彫刻を第二代のBが鑑賞し批判しつつ、毎日毎日精魂を凝らして眺めているうちに、どうも気に入らぬ処が出来て来る。あそこを削ったら……又は、あそこを今少し高めたら……とか思うようになる。そんな処を甲乙丙丁の一つ一つに就いて、慎重に研究しては直し、直しては研究しつつ、一生を終る。そのあとを第三代のCが引き受けて、やはり同じ仕事を繰り返しつつ、その彫刻の価値を益々向上させて死ぬ。一方に、BもCも手を入れる気にならぬような、つまらないものは、そのままに残って、第四代のDに渡る。
こうして代を重ねて行くうちに、第一代のAが作った数千の彫刻の中で、芸術的価値の高いものは益々手を入れられてよくなるし、手を入れる張合いのないようなものは、いつまでも放ったらかされて、忘れられてしまう。遂には廃棄せられて、毀《こわ》れてしまう。すなわち現世に存在する彫刻の数が減って行くのであるが、そんな事は、些《すこ》しも気にかけられずに益々よいものを良くして悪いものを棄てて行こうとする。最も芸術的に高潮した作品が一つでも残れば……という考えで進んで行く。
これは「減って行く進化の形式」であるが、これと正反対の「殖えて行く進化の形式」を執《と》る世界一般の芸術も、つまるところ同じ所に行きつくのであるまいか……只、その途中に於て、時間的、空間的に恐ろしく大きな無駄をする事は明らかな道理で、能のように減って行く式の進化の方法を執る方が遥かに有利ではあるまいか……芸術的に高潮して行く度合いが何層倍か早くはあるまいかと考えられる。従って世界中でただ独り? そうした形式で進化して来た能は、つまるところ世界中で最高度に洗練された芸術である。そうして常にその時代の芸術と格段な距離を作ってトップを切り、且つこれをリードして行く芸術であるという三段論法が大掴みながら考えられる。
こうした芸術進化の二方式の優劣論は暫くお預りとして、事実「能」は斯様《かよう》な進化の方法を非常な努力と自信の下に執って来た、世界に稀な芸術である。しかもそうした進化の方法の有利さを実際に証明しつつあり、且つ将来に於て益々証明せんとしている。云わば吾等日本民族が、先祖代々から、子々孫々に到るまで、総がかりで完成すべく努めている綜合芸術のエッセンスであろう。
ヘブライ文化が基督《キリスト》教を、支那文化が儒教を、印度文化が仏教をそれぞれ数千年がかりで生んだ。その通りに何千年か、何万年か生存すべき日本民族の一代がかりで能を完成しつつある。酔い易い日本民族が、終始一貫した努力を払って……。
能楽成立以前
能の曲の内容をよくよく翫味《がんみ》してみると、実に雑然として混沌たるものがある。乞食歌もあれば、お経文もある。純日本式の思想もあれば、支那、印度の思想も取り入れられている。装束の模様、彫刻の刀法、その他、何から何まで陳紛漢紛《ちんぷんかんぷん》のゴモクタ芸術であるが、それを純日本人式の芸術的表現力を以て、最高度に統一支配して、透きとおるほど切実に観る者、聴くものに迫って来る。そうした事実を尚深く遡って考えると、能が出来る迄には雅楽、幸若舞《こうわかまい》、田楽、何々舞、何々狂言なぞいう、能楽の前身とも云うべきものが非常に発達していたらしい。しかもそうした諸般の演出物は、或は芸術的の迷妄に陥り、又は民衆に媚びて堕落し、又は儀礼的に高踏し過ぎて、芸術的の迷妄や行き詰りに陥りつつも、何かしらより高尚な、より充実した……或るタマラナイ表現慾を満足させ得べき芸術……すなわち能を生み出すべく、生みの悩みを続けていたものらしい。
そのような慾求の中から生まれたものが能である事を信じたい。能は、こしらえたものでなく、出来たものである事を私は飽く迄も信じたい。
私は学者でないから、そのような事を如実に考証する力はないが、今日迄色々聞いた話や、又は能の各曲が「いつ頃、誰の手によって出来たものである」というハッキリした記録が無いらしい事実なぞを考え合わせると、どうもそんな気がしてならない。
能の作者は色々伝えられているようであるが、どれも彼《か》もが結び付けて伝えたらしい感じがする。且つ、義太夫なぞは、手を付けた三味線引きや、初めて興行された劇場の種類、初めて演出した俳優や人形使いの名前なぞと一所《いっしょ》に、作者の名前が演出の手法の上に大きな影響をするものと聞いたが、能ではそんな事は絶対に顧慮されない。従って能の作者の名前は時代と共に忘れられて行く。
能の作者は、かくして結局、神秘的存在となって行くように思うのは私が無学だからであろうか。それとも思い做《な》しであろうか。
いずれにしても私は自分の無学と共に確信している。能は作った[#「作った」に傍点]ものでない。自然と生れ出たものである。そうして事実上、生まれ出たものと同様の生命と進化力を持っている。進化の途中に在る色々な不完全さと、どこまで向上するかわからぬ溌溂さを持っている。
能は日本民族最高の表現慾が生んだものに相違ない。作者の有無に拘《かか》わら
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