を心得ている。そうして異性の弱点をあらゆる方向から蠱惑《こわく》しつつ、その生血《いきち》を最後の一滴まで吸いつくすのを唯一の使命とし、無上の誇りとし、最高の愉楽と心得ている女である。
……叔父が彼女から逃げまわるようになったのも、こうした彼女のプライドに敵しかねたからである……。
……彼女は暗黒の現実世界に存在する、底無しの陥穽《おとしあな》である……最も暗黒な……最も戦慄すべき……。
……陥穽《おとしあな》と知りつつ陥らずにはいられない……。
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というような感じが、みるみるハッキリして来たので……。
……けれども亦、一方に伊奈子には案外神経質な、用心深いところも、あるにはあった。彼女が私を引っぱり出してこんな事をして遊びまわるのは、叔父の待合に入浸《いりびた》っているか、又は旅行している間に限っていたので、公園前の自宅に私を引っぱり込むような事は絶対にしなかった。伊奈子のそうした態度の中には、男の嫉妬というものが如何に恐ろしいかを知っている気持ちがハッキリと現われていた。多分彼女は叔父に関係する以前に、そんな問題でヒドク懲《こ》りさせられた経験があるらしいので、しかもその相手が西洋人ではなかったろうかという事までも同時に察せられた位であった。
ところが、彼女のこうした用心深さが物の見事に裏切られたのは、それから一箇月と経たない時分の事であった。
それは十二月の初めの割合いにあたたかい日であった。その前後の一週間ばかりというもの市場《しじょう》が頗《すこぶ》る閑散であったために、これぞという仕事もなく、午後四時過になると店には叔父と私と二人切りしか居ないようになったが、その時に店のストーブの前で、カクテールを飲み飲みしていた叔父が突然に、こんな事を云い出して私をヒヤリとさせた。
「お前はこの頃伊奈子と散歩を始めたそうだな……ウン……それあいい事だ。俺もセッカクお前にすすめようと思っていたところだ。引けあとの電話は、大抵、明日《あす》の朝きいても間に合う事ばかりだからナ……しかし、あんまり夜更《よふ》かしをすると身体《からだ》に触《さわ》るぞ」
これを聞いた時には流石《さすが》の私も、どう返事をしていいか解らないまま固くなって叔父の顔を見た。けれども、その次の瞬間にはホッと安心をすると同時に、又、それとは全く違った意味で驚きの眼を瞠《みは》らせられたのであった。……そう云い云い又も一杯傾けて、舌なめずりをしている叔父の横顔には、
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……お前が何もかも知っている事を俺もよく知っているのだ。しかし俺はもう何とも云わない。伊奈子はお前の好き自由にしていい……。
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という意味の表情が、力なくほのめいていたからであった。……のみならず、その叔父独得の陽気な響きを喪った声の中には、今までにない淋しい……如何にも親身《しんみ》の叔父らしい響さえ籠《こも》っていた。そうして、そう思って見れば見るほど、叔父の横顔には、今までの悪魔らしい感じがなくなっているのに気が付いて来た。この夏時分に比べると、驚くほど青白くなっている頬や瞼には、ヨボヨボの老人に見るようなタルミさえ出来ているのであった。
しかし、それかといって今更のように叔父を憐れむ気には毛頭なれない私であった。すぐに、もとの私に帰ると同時に、一種の冷たい微笑が湧いて来るのを押え付けながら、トボトボと店を出て行く叔父を見送って、平生《いつも》よりイクラカ叮嚀《ていねい》に頭を下げただけであった。
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……面白いな……まるでお伽噺《とぎばなし》か何ぞのように、小さな美しい悪魔が、大きな醜い悪魔をやっつけて[#「やっつけて」に傍点]、只の人間になるまで去勢してしまっている。しかも、あんまりやっつけ[#「やっつけ」に傍点]過ぎたために、相手は平々凡々のお人好しを通り越して、何もかも覚りつくした、諦め切った人間になってしまっている。叔父は彼女に対する愛着心を消耗しつくすと同時に、彼女の計画のすべてを覚ってしまいながら、それをどうする事も出来ない立場にいる事をまで自覚してしまっている。
……しかし……こうなったら却《かえ》って彼女のために危険な事になりはしまいか。少くとも彼女が叔父に対して警戒している方向は、飛んでもない見当違いになってしまっているではないか……。
……面白いな……この結末がどうなるか……。
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と心の中《うち》で楽しみながら……。
その月の中頃の、或る天気のいい日曜の朝早くであった。伊奈子は大急ぎの口調で私に電話をかけたが、それは叔父が三日ばかりの予定で、その朝早く大阪に発ったので、これからすぐにF市から二十里ばかりの処にあるU岳の温泉に行
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