スッカリその文句を暗記してしまった。そうして子供心に、そんな悪魔みたいな人間が本当にこの世に居るものか知らん。もし居るものならば親父の云う通りにブチ殺したって構わないだろう。人間の頭を鉄鎚で殴ると眼が飛び出すって聞いていたが本当か知らん。本当だったら面白いナ。その時にはどんな気持ちがするだろう……なぞと、いろんな事を聯想しいしい、温柔《おとな》しくうなずいて聞いていた。その叔父がどんな顔をしているか、早く会って見たいような気持ちもした。
 ところがその悪魔の叔父は、親父が死ぬと間もなくどこからかヒョッコリと現われて、私の眼の前に突立ったのであった。
 何でも親父は、私が活版所に出かけた留守のうちに、台所の窓から帯を垂らして首を引っかけたまま死んでいたのだそうで、寝床の煎餅蒲団の下には、
「何事も天命です。誰も怨む者はありません。ただ年端《としは》の行かぬ倅《せがれ》にこの上の苦労をかけるのが辛《つ》らさに死にます。どうぞよろしくお頼み申します」
 といったような開き封の遺書《かきおき》が、叔父宛にした密封の書類と一緒に置いてあった。その遺書《かきおき》は、巡査が私に見せてくれたが、昔風の曲りくねった字体で丸ッキリ読めなかった。又、親父の死に顔も、夜具の下に寝かしてあるのを覗いて見るには見たが、別に悲しくも何ともなかったので困ってしまった。近所の人達や、警官や、医者みたいな連中が、みんな眼をしばたたいたり泣いたりしているらしいのに、私一人だけはツクネンと坐ったまま、呑気《のんき》そうに口をポカンと開《あ》いた親父の口もとを眺めて「咳が出なくなったから楽だろう」なぞと思ったりしているのが何となくバツが悪かった。するとそのうちにドカーンと大砲のような音がして、何かしら眼が眩《くら》むほど真白く光ったのでビックリした。あとから聞いてみると、それは新聞社から来た写真屋がマグネシュームというものを焚《た》いたので、あくる日になるとその写真が私の氏素性《うじすじょう》と一所に大きく新聞に出た。……大金持ちの遺児《わすれがたみ》で、この上もない親孝行者で……とか何とかいうので、学校の成績のよかった事や、毎日活動のビラや古新聞の記事を親父に読んで聞かせた事まで無茶苦茶に賞め立てて書いてあった。
 その新聞を持って、まだ薄暗いうちに飛び込んで来たのが悪魔の叔父で、親父の仏様の横に並んで寝ていた私を大きな声で「愛太郎愛太郎」と呼び起しながら、壊れかかった表の扉《と》をたたいたのであった。

 叔父はその時が四十二三位であったろうか。眼の小さい、赤ら顔のデップリとした小男で、額の上に禿《は》げ残った毛を真中からテイネイに二つに分けて、詰襟《つめえり》の白い洋服を着ていたが、トテモ人のいい親切らしい風付《ふうつ》きで、悪魔らしいところはミジンも見えなかったのでガッカリしてしまった。……あのまん丸く光る頭を鉄鎚で殴ってもいいのか知らん……と思うと可笑《おか》しくなった位であった。
「オオオオ。愛太郎か。大きくなったナ。十三だというんか。ウンウン。親類の人はまだ誰も来ないかナ。ウンそうか。俺はお前の父さんに誤解されたっ切りで、死に別れたのが残念で残念で……」
 と云い云い私の頭を撫でて、白い半布《ハンケチ》で涙か汗かを拭いているらしかったが、親父が遺書《かきおき》と一緒に置いていた叔父宛の密封書を見せると、中味を無造作に引き出して、証文みたようなものを一枚一枚|叮嚀《ていねい》に検《あらた》めて行くうちに、何ともいえず憎々しい冷笑を浮かめながら、みんな一緒にまとめて内ポケットに押し込んだようであった。そうして自分で葬儀屋を呼んで来たり、アルコールと綿を買って来て親父の身体《からだ》を綺麗に拭き上げたりして、野辺送りを簡単に済ますと、親類や近所の人達に挨拶をして私を自分の店に引き取った。叔父はその挨拶の中《うち》で、
「死んだ兄貴に対する、せめてもの恩報じです……」
 というような事を何度も何度も繰り返していたが、母親の事は一言も云わなかったようである。もっとも私の居る前で二三人、そんな事を詰問した人もあったが、叔父は馬鹿馬鹿しそうに高笑いしながら、
「そんな事は私が兄貴に追い出された後《あと》の出来事で、どんな事情があったのか知りもしませんし、何の関係もない事です。とにかくこのような場合ですからそのような御質問は後にして下さい。この児《こ》の教育のためにもなりませんから……」
 とキッパリ云い切ったことを記憶《おぼ》えている。あとで考えると叔父は私の母を連れ出して散々オモチャにした揚句《あげく》に、どこかへ売り飛ばすか、又は、人知れず殺すかどうかしたらしい……と思える節《ふし》がないでもないが、しかしその時の私は顔も知らない母親の事なぞはテンデ問題にしてい
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