と居りませんよ。とにも角にもあの芝居だけは止めてもらいたくないものです。仏蘭西《フランス》と日本だけですからね。大東京の誇りと云ってもいいものですからね。云々。
[#ここで字下げ終わり]

       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜[#波罫線]

 八月四日の午後四時頃、大森山王の一角、青空に輝く樫《かし》の茂みと、ポプラの木立に包まれた轟邸の玄関の豪華を極めた応接室で、接待用らしいMCCを吸いながら、この夕刊記事に額を集めていた二人の巡査が、同時に読終ったらしく顔を上げた。どちらも大森署の巡査であるが、一人は猪村《いむら》といって丸々したイガ栗頭。大兵《たいひょう》肥満の鬚男《ひげおとこ》で、制服が張千切《はちき》れそうに見える故参《こさん》格である。これと向い合って腰を卸《おろ》した文月《ふづき》というのは蒼白い瘠せこけた、貧弱そのものみたいに服のダブダブした新米巡査で、豊富な頭髪を綺麗に分けていたが、神経質な男らしくタッタ今読棄てた夕刊の記事を今一度取上げて、最初から念入りに読直し初めた。
 猪村巡査はそうした若い巡査の熱心な態度を見ると何かしらニヤリと笑った。腮《あご》一面の無精鬚をゴリゴリと撫でまわして腕時計をチョット覗いたが、やがてブカブカした緞子《どんす》張りの安楽椅子に反《そ》りかえって長々と欠伸《あくび》をした。
「ア――ッと……ここが捜索本部と発表しとるのに、新聞記者が一向遣って来んじゃないか」
「モウ朝刊の記事を取りに来る頃ですがね」
「司法主任はここを本部と見せかけて新聞記者を追払わんと邪魔ッケで敵《かな》わんというて、そのために僕をここによこしたんじゃが、サテは感付かれたかな。近頃の新聞記者はカンがええからのう」
「司法主任は、よほどこの事件を重大視しておられるのですね」
「むろん重大だよ。被害者が被害者だし、事件の裏面によほど深い秘密があるものと睨んでいるのだからね」
「それにしては新聞記事の本文がアンマリ簡単過ぎやしませんか」
「ナアニ。新聞記者にはソンナ気ぶりも匂わしちゃおらんよ。この前よけいな事を素破抜《すっぱぬ》きやがった返報に、絶対秘密を喰わせている。二三人来た早耳の連中が、夕刊の締切が近いので、それ以上聞出し得ずに慌てて帰って行った迄の事よ。しかしそれにしては良く調べとる。コチラの参考になる事が多いようだねえ」
「ヘエ。つまりこの新聞記事以外の事は、わかっていないんでしょうか」
「馬鹿な。まだまだ重大な秘密がわかっているんだよ」
 文月巡査の眼がキラキラと光った。
「……ソノ……僕はツイ今しがた、非常で呼出されて来たばっかりで何も知らないんですが。来ると同時に署長殿からモウ帰っても宜しいと云われたんで、実は面喰《めんくら》ったまま貴方《あなた》に従《つ》いて来たんですが」
「見せてやろうか……現場を……」
「ええ。どうぞ……」
「絶対に喋舌《しゃべ》っちゃイカンよ。誰にも……」
「ハイ……大丈夫です」
「よけいな見込を立てて勝手な行動を執《と》るのも禁物だよ」
「……ハイ……要するに知らん顔しておればいいのでしょう」
「……ウン……新米の連中は警察が永年鍛え上げて来た捜索の手順やコツを知らないもんだから、愚にも付かん理屈一点張りで行こうとしたり、盲目滅法《めくらめっぽう》にアガキ廻って却《かえ》ってブチコワシをやったりするもんじゃよ。こっちへ来てみたまえ。ドウセイ退屈じゃからボンヤリしとったて詰まらん。将来の参考に見せてやろう」
「ありがとう御座います」
 二人は丸腰のまま応接間をソッと出て、直ぐ隣室になっている廊下の突当りの轟氏の居室《いま》に這入《はい》った。流石《さすが》に豪華なもので東と南に向った二方窓、二方壁の十坪ばかりの部屋に、建物の外観に相応《ふさわ》しい弧型《こけい》マホガニーの事務机《デスク》、新型木製卓上電話、海岸傘《ビーチパラソル》型電気スタンド、木枠正方型|巻上《まきあげ》大時計、未来派裸体巨人像の額縁、絹紐煽風機、壁の中に嵌め込まれている木彫《きぼり》寝台の白麻垂幕《ドロンウォーク》なぞが重なり合って並んでいるほかに、綺麗に拭き込んだ分厚いフリント硝子《ガラス》の窓から千万無数に重なり合った樫の青葉が午後の日ざしをマトモに受けてギラギラと輝き込んで来る。盛んに啼いている蝉《せみ》の声も、分厚い豪奢な窓|硝子《ガラス》に遮られて遠く、微《かす》かにしか聞こえず、壁が厚いせいであろう、暑さもさほどに感じられない。近代科学の尖端が作る妖異な気分が部屋の中一パイにシンカンとみちみちしている感じである。
「この家《うち》の中は随分涼しいんですね」
「どこかに冷房装置がしてあるらしいね……ところで見たまい。被害者はこの事務机《デスク》の前の大きな廻転椅子に腰をか
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