事があります。たしか四条派だったと思いますが……」
「ね。あるでしょう……その柳仙夫婦の間に、その頃三つか四つになる三枝という女の児《こ》がありました。父親が五十幾つかの老年になって出来た子供なのでトテモ可愛がって、ソラ虫封じ、ソラ御開運様といった風に色々の迷信の中《うち》に埋めるようにして育てたものだそうですが、それがアンマリ利き過ぎたのでしょう。今の妾みたいな人間になってしまったのです」
「結構じゃないですか」
「……まあ聞いて頂戴……その大正の十年ごろ静岡あたりを中心にして東海道から信州へかけて荒しまわっていた殺人強盗で、本名を石栗虎太、又の名を生蕃《せいばん》小僧というのが居りました。生蕃みたいに山の中へ逃込むとソレッキリ捕まらない。人を殺すことを何とも思っていないところから、そう呼ばれていたのだそうです。その生蕃小僧がこの柳仙の一軒屋に眼を付けたのですね。……どうしてもモノにしようと思って色々様子を探ってみたんだそうですが、その柳仙の一軒屋というのは、見付の人家から二三町も離れていて、呼んでも聞こえないばかりでなく、四方八方に森や、木立や、小径がつながり合っていて、盗賊《かせぎ》には持って来いの処だったのですが、しかし、何よりもタッタ一つ、一番恐ろしい番犬がこの柳仙の家をガッチリと護衛《まも》っている事が、最初から判明《わか》っているのでした。……その番犬というのは見付の町で、土木の請負をやっている等々力親分の一家でした。
 その頃見付の宿で、等々力雷九郎親分の後を嗣《つ》いでいたのが等々力久蔵という、生蕃小僧と同じ位の年頃の若い親分でした。もっとも大正十年頃の事ですから、昔ほどの勢力はなかったのでしょう。そこいらの田舎銀行や、大百姓の用心棒ぐらいの仕事しかなかったのでしょう。その上に、その若親分の久蔵というのも、昔とは違った帝大出の法学士で、弁護士の免状まで持っていたインテリだったそうですが、乾分《こぶん》に押立てられてイヤイヤながら渡世人の座布団に坐り、新婚早々の若い、美しい奥さんと二人で、街道筋を見渡していたものですが、この若親分の久蔵というのが、十手捕縄を預っていた雷九郎親分の血を引いたものでしょう。親分生活は嫌いながらにあの辺切っての睨み上手の、捕物上手で、云ってみれば田舎のシャロック・ホルムズといったような名探偵肌の人だったのでしょう。すこし手
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