か。仕事は一切私が自分でしますから……」
「出来ましょうか貴女に……」
「一度ぐらいなら訳ありませんわ。小さな劇場《こや》ですもの……いつもの通りの手順に遣るだけの事よ。チョロマかされたってタカが知れてますわ」
「資金《おかね》はありますか」
「十分に在ってよ。在り余るくらい……」
「意外ですなあ……どこに……」
「どこに在ってもいいじゃないの……とにかく貴方は今度だけ御客様よ。招待券の二三枚ぐらい上げてもいいわ……ホホ……神戸の後家さん親娘《おやこ》でも引っぱってらっしゃい」
「ジョ……冗談じゃない」
「そうよ。冗談じゃないのよ。真剣よ……妾……それまで処女を棄てたくないんですからね」
「ショ……ショジョ……」
「まあ何て顔をなさるの。妾が処女じゃないとでも仰言るの。ずいぶん失礼ね」
「イヤ。ケ……決してソンナ訳では……」
「そんなら温柔《おとな》しく妾の云う事をお聞きなさい。そうしてモウ時間ですからこの室[#「この室」に傍点]を出て行って頂戴……」
事件当夜……八月四日の呉服橋劇場は、非常な不入りであった。その日の夕刊を見た人々は皆、当然の休場を予想していたらしく、毎日の定収入になっている[#底本では「よっている」と誤記]御定連の入りすらも半分以下で、最終幕《オオギリ》の前に「当劇場主轟九蔵氏急死に就き勝手ながら整理のため向う一箇月間休場いたします」の立看板を舞台中央の幕前に出した時には、無礼にも拍手した奴が居た。
「ああ。もうこの芝居も、これでおしまいか」と云って今更|名残《なごり》惜しげに表の絵看板を振返る者さえ居た。
その時にスター女優天川呉羽は、劇作家、江馬兆策と一所に銀座裏のアルプスという山小舎式の珈琲《コーヒー》店の二階で、向い合っていた。白ずくめの洋装をした呉羽は中世紀の女王のようにツンとして……。タキシードの兆策はその従僕のように、巨大な木の切株を中に置いて竹製の腰掛にかかっている。帳場の煤《すす》けたラムプを模した電燈の蔭に、向うむきに坐った見すぼらしい鳥打帽の男がチビリチビリとストローを舐《しゃぶ》っているほかには誰も居ない。部屋の中をチラリと見まわした呉羽は、切株のテーブルの上に肘を突いて兆策の耳に顔を近付けた。兆策も熱心にモジャモジャの頭を傾けた。低い声が部屋中にシンシンと途切《とぎ》れ散る。
「江馬さん。よござんすか。これは妾の一
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