ず》いた。笠支配人も一つゴックリとうなずいて膝を進めた。
「一体|貴女《あなた》が結婚したいと仰言るのは誰ですか。ハッキリ仰言って頂けませんか。この際……」
「……………」
「アノ……アノ……創作家の江馬[#底本では「司馬」と誤記]兆策じゃないのですか」
「……………」
「どうも貴女《あなた》はあの男と心安くなさり過ぎると思っておりましたが……」
 笠支配人の態度と口調が、だんだん積極的になって来るに連れて、呉羽はイヨイヨ長椅子の中へ頽折《くずお》れ込んで行った。白手柄《しろてがら》の大きな丸髷《まるまげ》と、長い髱《たぼ》と、雪のように青白い襟筋をガックリとうなだれて、見るも哀れな位|萎《しお》れ込んでいるのを見下した支配人はイヨイヨ勢付いて、ここまでノシかかるように云って来ると、又もや呉羽は突然に真白い顔を上げた。眉をキリキリと釣上げてハネ返すように云った。
「ケ……穢《けが》らわしいわよッ……ア……アンナ奴……」
「……でも……でも……」
 笠支配人は度を失った。憤激《いかり》の余り肩で呼吸をしている呉羽の見幕に辛うじて対抗しながら、真似をするように息を切らした。
「でも……でも……貴女《あなた》は……いつも御主人の眼を忍んで……あの劇作家《せんせい》と……」
「そ……それはあの凡クラの劇作家《せんせい》に、次の芝居の筋書を教えるためなのよ。次の芝居の筋書の秘密がドンナに大切なものか……ぐらいの事は、貴方だって御存じの筈じゃありませんか。……ダ……誰があんなニキビ野郎と……」
 そう云ううちに呉羽は見る見る昂奮が消え沈まったらしく、以前の通り長椅子に両脚を投出した。今度は何やら考え込んだ、一種のステバチみたような態度に変ってしまった。そうした態度の変化には何となく不自然な、わざとらしいものがあったが、しかし笠支配人は満足したらしかった。モトの通りに落付いた緊張した態度で、ジッと呉羽の横顔を凝視《みつ》めた。
「それじゃ何ですね。貴女《あなた》は、轟さんに結婚の希望を拒絶されて、立腹の余りに轟さんを殺されたんじゃないんですね」
 呉羽はサモサモ不愉快そうに肩をユスリ上げて溜息をした。
「失礼しちゃうわねホントニ。いつまで云っても、同じ事ばっかり……執拗《しつこ》いたらありゃしない。ツイ今|先刻《さっき》貴方と二人で大森署へ行って、犯人に会って来た計《ばか》りじゃ
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