られねえぞ」
と独りでうなずきながら立去る場面《ところ》であった。
続いて舞台がまわると甘木柳仙自宅の場で、等々力久蔵が柳仙夫婦から娘の三枝を借受け、それとなく三枝に左様ならを云わせ、思入れよろしくあって退場する。そのままの場面で日が暮れると生蕃小僧が忍び入り、柳仙夫婦を惨殺し、家《うち》中を探しまわって僅少の小遣銭を奪い、等々力久蔵に計られたかなと不平満々の捨科白《すてぜりふ》を残して立去るところであった。
幕が締ると皆ホッとして囁き合った。
「ねえお兄様。イクラか書換えてあって?」
「ウン。それが不思議なんだ。この幕は大体から見て僕が書下した通りなんだ。あんな大道具をどこに蔵《しま》って在ったんだろう……ただ柳仙夫婦の殺されの場がすこし違うようだね。あんな風に老人の柳仙が頭からダラダラ血を流して拝むところなんぞはなかったよ。キット睨まれると思ったからカゲにしておいたんだがね」
「警察の人は来ているんでしょうか」
「来ていても今晩は何も云わないのが不文律みたいになっているから大丈夫だよ。その代り明日《あす》になるとキット差止めるとか何とか威かして来るにきまっているんだ。もっとも呉羽さんは、それを覚悟の前で演《や》ってるのかも知れないがね」
「……でも轟さんと呉羽さんの前身だけは今の幕で想像が付くワケね」
「ナアニ。みんな芝居だと思って見ているんだから、そんな余計な想像なんかしないだろう」
「そうかしら……でもポオの原作なんて誰も思やしないわよ。あれじゃ……」
「フフフ。黙ってろ。幕が開《あ》くから……オヤア……これあ西洋|室《ま》だ……おれア日本|室《ま》にしといた筈だが……」
「……シッシッ……」
第二幕の第一場は大森の天川呉羽嬢邸内、轟九蔵氏自室の場面であった。部屋の構造から品物の配置、主人轟九蔵氏の扮装に到るまで、すべて実物の通りで、窓の外に咲き誇っている満開の桜までも、寸分違わない枝ぶりにあしらってある。
その東の窓際の寝椅子に、着流しの轟九蔵氏が長くなっている足先の処に、美術学校の制服を着た、イガ栗頭の江馬兆策に扮した俳優が腰をかけている。その前に音楽学校のバンドを締めた美鳥ソックリの少女が姿勢正しく立って、美鳥のレコードを蔭歌にして独唱をしている体《てい》。それを轟氏が、如何にも幸福そうに眼を細くして聞いている。
「うらわかき吾が望み 青々と
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