柄じゃ、むろんないんだ。尤《もっと》も若いうちは不良の文学青年でバイロンの「海の詩」なんかを女学生に暗誦《あんしょう》して聞かせたりなんかして得意になっていたもんだがね。しかしそれから後《のち》、永年荒っぽい海上生活を続けて来たお蔭で性根《しょうね》が丸で変ってしまった。身体《からだ》こそこんなに貧弱な野郎だが、兇状持揃《きょうじょうもちぞろ》いの機関室でも、相当押え付けるだけの腕《うで》ッ節《ぷし》と度胸だけは口幅《くちはば》ったいが持っているつもりだ。現に船員連中《ふねじゅう》から地獄の親方と呼ばれている位だ。……けども、その俺が、この渋紙|船長《おやじ》の前に出ると、出るたんびに妙に顔負けしてしまう。いつもこうしてペラペラと安っぽく喋舌《しゃべ》らせられるから妙なんだ。しかも忠告する気で云っている話が、ツイお伽話《とぎばなし》か何ぞのようにフワフワと浮付《うわつ》いてしまう。圧《お》しの利かない事|夥《おびただ》しい。
「何も御幣《ごへい》を担ぐんじゃありませんがね。そんな篦棒《べらぼう》な話が在《あ》るかって反対もしてみたんですがね。今まであの小僧が乗った船が一艘残らず沈んだのが事実だったら、今度沈むのも事実に違いない。乗組員全体の生命《いのち》にも拘《かか》わる話だ。何もあの小僧が居なけあ船が出ねえって理窟《りくつ》もあるめえし……お前《めえ》んとこの船長《おやじ》がいくら変者《かわりもの》だってそんな無鉄砲な酔狂をして乗組員《のりくみ》を腐らせるような馬鹿《ばか》でもあんめえ。あの小僧の曰《いわ》く因縁、故事来歴を知らねえから平気で雇ったに違《ちげ》えねえんだ。悪い事《こた》あ云わねえから早く船長《おやじ》に話して、あの小僧を降してもらいな。多人数《おおぜい》の云う事《こた》あ聴いとくもんだ。あとで必定《きっと》後悔するもんだから……てな事を皆《みんな》して色々云うもんですからね……ハハハ……」
 船長の表情は依然として動かない。渋紙色の仮面《マスク》が、頭の上の青空に凍り付いたように動かない。無表情もここまで来ると少々|精神異状者《きちがい》じみて来る。俺は思い切りブツカルように云った。
「今の中《うち》に降しちゃったらどうです」
 船長の左の眼の下にピクピクと皺《しわ》が寄った。同時に片目を半分ほど細くして、唇の片隅を上の方へ歪《ゆが》めた。これがこ
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