ゆうべ》、貴方が親友親友って言って連れて来て、二階でお酒をお飲みになったじゃないの。そうして仲よく抱き合ってお寝みになったじゃないの」
「馬鹿言え。俺あ今朝初めて見たんだ」
細君は青くなってしまった。
「まったく御存じないの」
「ウン。全く……」
そんな問答をしているうちに、松石君はやっと昨夜の事を思い出したので、思わず頭を掻いて赤面したと言う。
「困るわねえ。貴方にも……まだ寝ているんでしょう」
「ウン。眼をウッスリと半分開いて、気持よさそうに口をアングリしていやがる」
「気色の悪い。早く起してお遣んなさいよ。モウ十時ですよ」
「イヤ。俺が起しに行っちゃ工合が悪い。お前、起して来い」
「嫌ですよ。馬鹿馬鹿しい」
「でもあいつが起きなきゃあ、俺が二階へ上る事が出来ない。洋服も煙草も二階へ置いて来ちゃったんだ」
「困るわねえ」
「弱ったなア」
そのうちに二階の男が起きたらしくゴトゴトと物音がし始めた。
……と思ううちに突然、百雷の落ちるような音を立てて、一気に梯子段を駈け降りた。玄関で自分の靴に足を突込むと、バタバタと往来へ走り出て、いずこともなく消え失せて行った。
夫婦は眼を丸くして顔を見合わせた。
腹を抱えて笑い出した。
「よかったわね、ホホホホ」
「アハハハ。ああ助かった。奴さん気まりが悪かったんだぜ」
「それよりも早く二階へ行って御覧なさいよ。何かなくなってやしないこと……」
松石君の古いカンカン帽が、その日から新しくなった。昨夜の親友が間違えて行ってくれたものだったという話。
同じ社友で、国原三五郎というのがいる。これに準社友の芋倉長江画伯を取り合わせると古今の名コンビで、弥次喜多以上の悲惨事を到る処に演出する。
大正何年であったか正月の三日に、国原がフロックコートで初出社をすると、左手の甲に仰山らしく繃帯をしている。見ると夥しく黒血がニジンで乾干《ひからび》付いている。トテモ痛そうである。
「どうしたんだい。正月|※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]々《そうそう》……」
と聞いてみると国原は、酒腫れに腫れた赤黒い入道顔を撫でまわした。
「ウン。昨日社長の処で一杯飲んで帰りがけに、芋倉長江が嬉しいと言ってここに喰い付きやがったんだ。俺を西洋の貴婦人と間違えてキッスするのかと思っていたら、飛び上る程痛くなったから大腰で投げ飛ばして遣
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