な気がする。
以上掲げたような色々な定義を一つに引きくるめてモットモット深刻に掘下げたようなものが、探偵小説の魅力の正体でなければ、ならないような気がするようである。
今までに色々な形式の探偵小説が、書かれては飽きられ、工夫し出されては行詰まって来た。書いて行く小説家の方ではモウいけない。行き詰まった行き詰まったと悲鳴をあげている向きがあるようであるが、しかし、それは書く方の側だけの話ではあるまいか。
読者側の方では、まだ飽きても行き詰まっていないようである。モットモット強い、深い、新しい刺戟を求めている自分自身の恐ろしい心理の慾求を、その日その日の生活の間隙にハッキリと感じつつ、飢え渇いたような気持で本屋の店先をウロウロしているのではあるまいか。
その恐ろしい心理の慾求とは何であろうか。
……さあ……わからない。
現に、そういう筆者自身が、いつも、そんな気持で本屋の店先をウロウロキョロキョロする組であるが、さて自分自身に、お前は何を探しているのだと反省してみると、どうしてもわからない。たまたま面白そうな本を引っぱり出して中を二三行読むと、直ぐにチェッと舌打ちしてモトの本棚に押込んでしまうのであるが、何が、お前をそうさせるのかと、自分の頭に反問しても、返事は一つも浮かみ上がらない。その癖、おそろしく焦燥《あせ》ってジリジリしている事はたしかだ。これぞと思う本があればポケットを空《から》にしても構わないぐらい棄身《すてみ》の決心をしている事だけはたしかである。……だが……何を求めているんだと云われても返事が出来ないから困る。
……自烈度《じれった》いと云って、これ位自烈度い話はなかろう。……これがわかれば一躍、世界一の流行作家になれるかも知れないんだが……。
人文の発達に伴う、読物の種類の分派を探求し、綜合したところから帰納して、探偵小説が如何なる社会心理の反映を象徴しているものであるかをハッキリときめてくれる人は居ないか知らん。現代人が探偵小説の将来、如何なるものを要求しているかを、鮮やかに指示してくれる大批評家は居ないか知らん。
本屋の店頭に立って色々と本を漁っている人の頭を見破って帰って、直ぐにその慾求通りのものを書くという訳には行かないものか知らん。
否々。一流の流行作家は、皆、それが出来るのに違いない。そうして、わざと黙っているのに
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