糞《やけくそ》になってしまった。
「馬鹿。銭があったら嬶《かかあ》を持つワイ。感化院の房公《ふさこう》を知らんケエ」
 とタンカを切ってやったら牛太の奴吾輩の襟首を掴《つか》んでギューギューと小突きまわした。序《ついで》に拳固《げんこ》を固めて吾輩の横面《よこつら》を一つ鼻血の出る程|啖《く》らわしたから、トタンに堪忍袋の緒が切れてしまった。さもなくとも燃え上るようなホルモンの遣《や》り場に困っている吾輩だ。襟首を掴んでいる牛太郎の手の甲をモリモリと噛み千切《ちぎ》りざま、持って生まれた怪力でもって二十貫ぐらいある豚野郎を入口の塩盛《しおもり》の上にタタキ付けた。それから失恋のムシャクシャ晴しに、駈付けて来た二三人の人相の悪い奴を向うに廻わして、下駄を振上げているところへ、通りかかった角力取《すもうとり》の木乃伊《ミイラ》みたいな大きな親爺《おやじ》が仲に這入《はい》って止めた。止めたといってもその親爺が無言のまま、片手に吾輩の襟首を掴んで、喧嘩の中から牛蒡《ごぼう》抜きに宙に吊るしたまま下駄を穿《は》かしてくれたので万事解決さ。相手のゴロツキ連中もこの親爺の顔を知っていたと見えて、猫みたいにブラ下がっている吾輩に向ってペコペコお辞儀していたが、可笑《おか》しかったよ。
 それからその親爺に連れられて、そこいらの河ッ縁《ぷち》の綺麗な座敷に通されてみるとイヨイヨ驚いたね。その親爺が坐っていても吾輩の立っている高さぐらいあるんだ。どこで胴体が継足《つぎた》してあるんだろうと思って荒っぽい縞《しま》のドテラを何度も何度も見上げ見下した位だ。おまけにツルツル禿《はげ》の骸骨みたいに凹《へこ》んだ眼の穴の間から舶来のブローニングに似た真赤な鼻がニューと突出ている。左右の膝に置いた手が分捕《ぶんどり》スコップ位ある上に、木乃伊《ミイラ》色の骨だらけの全身を赤い桜の花と、平家蟹の刺青《ほりもの》で埋めているからトテモ壮観だ。向い合っているうちに無料《ただ》でコンナ物を見ちゃ済まないような気がして来た。
 そこで吾輩は生れて初めて鰻の蒲焼なるものを御馳走になったが、その美味《うま》かったこと。モウ吾輩は一生涯、この親分の乾児《こぶん》になってもいいとその場で思い込んでしまったくらい感激しちゃったね。
 それからポツポツ様子を聞いてみると、その木乃伊《ミイラ》親爺の商売は見世物師《みせものし》なんだそうだ。成程と子供心に感心|仕《つかまつ》ったね。
「ヘエ。オジサンが見世物になるのけエ」
 と訊いてやったら、義歯《いれば》を抓《つま》んでいた親爺が眼を細くしてニコニコした。ピストルの頭を分捕スコップで撫でまわしながら吾輩に盃を差した。
「……マアマア。そんげなトコロじゃ。どうじゃい小僧。ワシは軽業《かるわざ》の親分じゃが、ワシの相手になって軽業がやれるケエ」
「軽業でも、手品でも、カッポレでも都踊りでも何でもやるよ。しかしオジサン。力ずくでワテエに勝てるけえ」
「アハハハ。小癪《こしゃく》なヤマカン吐《つ》きおるな。木乃伊《ミイラ》の鉄五郎を知らんかえ」
「知らんがな。どこの人かいな」
「この俺の事じゃがな」
「ああ。オジサンの事かい」
「ソレ見い。知っとるじゃろ。なあ」
「知らんてや。他人のような気もせんケンド……ワテエは強いで。砂俵の一俵ぐらい口で啣《くわ》えて行くで……」
「ホオー。大きな事を云うな。その味噌ッ歯で二十貫もある品物が持てるものかえ」
「嘘やないで。その上に両手に一俵ずつ持ってんのやで……」
「プッ……小僧……酒に酔うてケツカルな」
「ワテエ。酒に酔うた事ないてや」
「そんならこの腕に喰付いてみんかい」
 木乃伊《ミイラ》の爺さん一杯機嫌らしく、片肌を脱いで二の腕を曲げて見せると、真四角い木賃宿《きちんやど》の木枕みたいな力瘤《ちからこぶ》が出来た。指で触《さわ》ってみると鉄と同じ位に固い。
「啖付《くいつ》いても大事ないかえ」
「歯が立ったなら鰻を今《も》一パイ喰わせる……アイタタタ……待て……待てチウタラ……」
 廊下を通りかかった女中が吃驚《びっくり》したらしく襖《ふすま》を開けたが、木乃伊《ミイラ》親爺の二の腕に付いてる濡れた歯型を見ると、呆気《あっけ》に取られたまま突立っていた。
 親爺は急いで肌を入れた上から二の腕を擦《さす》った。吾輩に喰付かれたが、嬉しいらしく女中を振返ってニコニコと笑った。
「……鰻を、ま一丁持って来い。それからお燗《かん》も、ま一本……恐ろしい歯を持っとるのう。ええそれから……そこで給金の註文は無いかや……」
「無いよオジサン。毎日鰻を喰べて、女郎買いに行かしてもらいたいだけや」
 木乃伊《ミイラ》親爺は口をアングリ開《あ》いたまま、眼をショボショボさせていたが、それで話がきまったらしか
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