勘定を取りに行くんだ」
「まあ。彼奴の家《うち》を御存じですの……それがわからないお蔭で苦労しているんですよ。誰なんですか一体、羽振さんの親御さんは……」
「知らないのかい」
「存じませんわ。教えて下さいな」
「あの有名な貴族院議員さ」
「まあああああ――アアア」
五六人の女が部屋の空気を入れ換えるくらい大きな溜息をした。そのマン中に女将は頭を下げた。
「ありがとう御座います鬚野先生……ありがとう御座います。それさえ解れば千人力……」
「ま……ま……まあ早まるな。相手の家はわかっても、なかなかお前たち風情《ふぜい》が行って、おいそれと会ってくれるような門構えじゃないよ。万事は吾輩の胸に在る。それよりも落付いて一杯|注《つ》げ……ああいい心持になった。どうも婆《ばばあ》のお酌の方が実があるような気がするね」
「お口の悪い。若い女でも実のあるのも御座いますよ。ここに並んでおります連中なんか、上海でも相当の手取りですからね」
「アハハハ。あやまったあやまった。お見外《みそ》れ申しました。イヤ全くこんな酒宴《さかもり》は初めてだ」
「日本は愚か、上海にも御座いませんよ」
「ところでどうだい。最前からの話の筋の中で、羽振医学士の方は、吾輩の拳骨一挺で簡単に型が付いた訳だが、今一人居る断髪令嬢の許嫁《いいなずけ》の小伯爵、唖川歌夫の方はドウ思うね、諸君。その親孝行の断髪令嬢のお婿《むこ》さんに見立てて、差支え無いだろうか。吾輩は赤ゆもじ議員諸君の御意見通りに事を運びたいのだが……」
「ほんとに貴方は神様みたいなお方ですわねえ。何もかも見透して……」
「ところが、今度の事件に限って吾輩は、すこし取扱いかねているのだ。未だその断髪令嬢の涙ながらの話を聞いただけなんでね。唖川小伯爵がドンナ人間だか一つも知らずにいるんだ。そこへ取りあえず羽振医学士にぶつかって、コイツはイケナイと気が付いたから、筋書の中から叩き出してしまった訳なんだが、しかし、これから先がどうしていいかわからないので困っているんだ」
「まったくで御座いますわねえ、わたくし共でも、見当が付きかねますわ」
「ウム。だから実は君等にこうして相談してみる気になったもんだがね、一つ考えてくれよ。いいかい。この吾輩が詰まるところ運命の神様なんだ。そうして君等の指図通りにこの事件の運命を運んでみようと思ってこうして相談を打《ぶ》っているんだ。ドンナ無理な筋書でも驚かない。ドンナ無鉄砲な場面でも作り出して見せようてんだから、一つ大いに意見を出してもらいたいね」
「……センセー……ホントに妾《わたし》たちの考え通りにして下さる?」
吾輩の横に腰をかけていた一番若い、美しい、切前髪《きりまえがみ》の娘が瞳《め》を光らして云った。
「するともするとも。キットお前達の註文通りに筋書を運んで見せるよ。実物を使って実際に脚色して行くという斬新奇抜、驚天動地の世界最初の実物創作だ。喜劇でも悲劇でもお望み次第に実演させて見せる……」
「でもねえ先生……」
女将の横に居る肥《ふと》っちょの一番肉感的な女が、細長い眉を昂《あ》げて、薄い唇を飜した。
「あたし疑問が御座いますわ」
「あたしもよ……どうも初めっからお話が変なのよ」
「あら、あたしもよ」
「ほう、みんな吾輩の話に疑問があるって云うんだな。ふうむ、面白い。念のために断っておくが、俺はチットばかりアルコールがまわりかけている。しかしイクラ酔っ払っても、話を間違えた事は一度も無い男だぞ」
「アラ、先生。そうじゃないんですよ。先生のお話がヨタだなんて考えてるんじゃありませんわ。先生のお話が真実百パーセントとして聞いても、あたし達の常識が受け入れられないところがあるから……」
「ウワア、こいつは驚いた。恐しく八釜《やかま》しいのが出て来た。何かい、君は弁護士試験か、高文試験でも受けた事があるのかい」
「そんなことありませんわ。これだけ五人でお給金を貯《た》めて上海の馬券を買って、スッカラカンになったことがあるだけですよ」
「イヤ、これはどうもオカカの感心、オビビのビックリの到りだ。君等にソレだけの見識があろうとは思わなかった」
「まったくこの五人は感心で御座いますよ。上海でこの店が駄目になりかけた時に、五人が腕に撚《より》をかけて、旦那を絞り上げて日本へ帰る旅費から、この店を始める費用まで作ってくれたので御座いますよ」
「……吾輩……何をか云わんやだ。この通りシャッポを脱ぐよ。君等こそプロレタリヤ精神の生《き》ッ粋《すい》だ。日本魂の精華だ。人間はそうなくちゃならん。その精神があれば日本は亡びてもこの了々亭だけは残るよ」
「そんな事どうでもいいじゃありませんか先生。それよりも今のお話ですね」
「うんうん。どこが怪しい」
「怪しいって先生……その唖川歌夫ってい
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