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ああああああああア
歌が聞きたけあア――野原へお出《い》でエ――
青空の歌ア――恋の歌ア――
あああああああア
生命《いのち》棄てたけア――満洲へお出でエ――
遠い野の涯エ――河の涯エ――
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アハハハハ。どうだい。いい声だろう。出て来なけあ、まだまだイクラでも唄ってやるぞ。ハハハハハ」
ソッと聞いていた女たちが、一人一人恐る恐る眼をマン丸にして這入って来た。吾輩の歌に感心したらしく、気抜けしたような恰好で、吾輩の周囲《まわり》を取巻きながら、椅子に腰を卸《おろ》した。
そうして一心に吾輩の姿を見上げている半裸の若い女たちの姿を見まわすと吾輩は、森の妖精《ニンフ》に囲まれた半獣神《パン》みたような気持になった。
「いい声ねえ。おみっちゃん」
「上海《しゃんはい》にだって居ないわ」
「惜しいわねえ。コンナに町をブラブラさして……ホホ」
……ソレ見ろ……と吾輩はすこし得意になった。イキナリ椅子から立上って山高帽を冠り直したもんだ。
「エエ。こちらはJORK東京放送局であります。只今……エート……只今午後二時二十七分から、支那料理が出来上ります。空腹のお時間を利用して、昼間演芸放送を致します。演題は『街頭歌二曲』、最初は野尻雪情《のじりせつじょう》氏作『銀座の霧』、次は南原黒春《みなみはらこくしゅん》氏作『赤い帽子』、デタラメ・レコード会社専属鬚野房吉氏作曲、自演……了々軒ストーブ前から中継放送……誰だい手をタタク奴は。
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銀座の霧
夜の銀座にふる霧は ほんに愛《いと》しや懐かしや
敷石濡らし灯《ひ》を濡らし 可愛いあの娘《こ》の瞳《め》を濡らす
夜の銀座にふる霧は ほんに嬉しや恥かしや
帽子を濡らし靴濡らし 握り合わせた手を濡らす
赤い帽子
この世は枯れ原ススキ原 ボーボー風が吹くばかり
赤い帽子を冠ろうよオ――
赤い帽子が真実《ほんとう》の タッタ一つの泣き笑い
道化踊りを踊ろうよオ――
ああくたびれた」
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「お待遠《まちどお》様。やっとお料理が出来ました。御酒《ごしゅ》は何に致しましょうか。老酒《ラオチュ》、アブサン、サンパンぐらいに致しましょうか」
「ウワア。そんなに上等の奴はイカン。第一|銭《ぜに》が無い」
「オホホ。恐れ入ります。御心配なさらなく
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