すっかり軽蔑してしまったが……もっとも余計な品物を持っている点に於ては吾輩も負けないつもりだ。冠っている山高から、ボロ二重マント、穿いている長靴は勿論の事、その中に包まれている吾輩、鬚野房吉博士の剥身《むきみ》に到るまで一切合財が天下の廃物ならざるはなし。コンナ豪華な応接間の緞子《どんす》と真綿《まわた》で固めた安楽椅子の中に坐らせるのは勿体ないみたいなもんだが、しかし、その贅沢品の豪華版の中から生まれ出たような断髪の振袖令嬢が、その廃物ずくめのルンペンおやじに、大切な用があると仰言《おっしゃ》るんだから世の中は不思議なもんだ。一つ御免蒙って御神輿《おみこし》を卸《おろ》してみよう。そうして銀のケースの中から葉巻《ハヴァナ》を一本頂戴してみる事にしてみよう。
 断髪令嬢が素早く卓上のライタを取上げて器用に火をつけてくれた。その物腰をみるとチョット珈琲店《カフェー》の女給さんみたいな気がして、手が握りたくなったが止した。
 それから断髪令嬢は卓上のサモワルから馴れた手附で珈琲《コーヒー》を入れて、吾輩にすすめてくれたが、その容器を見ると、ここが断然カフェーでない事を覚らせられた。そこいらにザラにある珈琲茶碗じゃない。舶来最極上の骨灰[#「骨灰」に傍点]焼だ。底を覗いてみると孔雀型の刻印があるからには勿体なくもイギリスの古渡《こわた》りじゃないか。一つ取落しても安月給取の身代ぐらいはワケなく潰《つぶ》れるシロモノだ。吾輩はルンペンではあるが、有閑未亡人の侍従《ハンドバッグ》をやっていたお蔭でソレ位のことはわかる。亜米利加《アメリカ》の名探偵フィロ・ヴァンスみたいな半可通《はんかつう》とはシキが違うんだ。
「……わたくし……父が御承知の通りの身の上で御座いまして……わたくし迄も世間から見棄てられておりまして……お縋《すが》りして御相談相手になって下さるお方が一人も御座いませんの」
「フムフム……尤《もっと》もじゃ」
「みんな世間の誤解だから、心配する事はないと、父は申しておりますけど……」
 吾輩は鷹揚《おうよう》にうなずいて見せた。誤解にも色々ある。とんでもない売国奴が、無二の忠臣と誤解されている事もあれば、純忠、純誠の士が非国民と間違えられる事もある。警察に引っぱられたカフェーの女給が、華族の令嬢に見られる事もあれば、いい加減な派出婦が万引したお蔭で、貴婦人と間違えら
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