あ可愛相《かわいそう》に……コンナ非道《ひど》い事をして……ジッとしておいで、外《はず》して上げるから。イクラお肴《さかな》を盗んだってアンマリじゃないか。死んだら化けて出ておやり。憎らしい……」
 なんていうのには百の中《うち》一つも行当らない。
 もう一つ猫をやめた理由は、ドウも犬と猫との間に需要、供給の不公平があるらしい。犬の余り物の方が実際上、猫よりも遥かに多いんだ。
 俗に三味線太鼓といって三味線は猫の皮、太鼓は犬の皮ときまっているらしいが、猫の皮は日本国中、自惚《うぬぼれ》と瘡毒気《かさけ》の行渡る極み、津々浦々までペコンペコンとやっているが、太鼓の方はそうは行かない。イクラ非常時だからといったってあっちへドンドンこっちへドンドンやっていたら日本中が「お月様イクツ」になってしまう。だからワンワンの廃《すた》り物の方がニャアニャアのルンペンよりも遥かに多い訳だ。
 尤《もっと》もいくらワンワンだって、無鑑札の廃物ばかりを狙っている訳じゃない。時には必要に応じて有鑑札のパリパリを狙う事もある。コイツは極く内々の話だがトテモ珍妙な事件が在るんだ。ツイこの頃の事だ。
 今云った天狗猿博士の乾分《こぶん》で、法医学の副手をやっている男が、是非とも中位のセパードが一匹欲しい。軍用犬の毒物に対する嗅覚と、その毒物に対する解剖学上の反応を調べてみたいのだが、ナカナカ手に入らないので困っている。金は十円ぐらいまで奮発するから一つやってくれ。鬚野先生以外にお頼みする人が居ないのだから……と恐ろしく煽動《おだ》てやがったから特別を以て引受けてやった。
 そこでその副手から鋭利なゾリンゲン製の鋏《はさみ》を一挺借りて、その日一日中と、あくる日の夕方までかかって市中の屋敷町という屋敷町をホツキ歩いたが、誰でも知っている通りセパード級の犬になるとどこの家《うち》でもナカナカ外へ出さない。タマタマ出していてもゾッとする位大きな奴だったり、頑丈な男が鎖で引っぱっていたりして注文通りの奴に一度も行当らない……これでは日当にならない。ほかの雑犬《ざっぱ》を漁《あさ》って数でコナシた方が割がいい。これ位で諦らめて鋏を返してしまおうか知らんと胸算用をしいしい来るともなく、市内でも一等繁華な四角《よつかど》の交叉点《こうさてん》へ来てて、ボンヤリ立っているうちに、居た居た。生後三箇月ぐらいの手頃
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