はこの大学ばかりじゃないんだ。向うの山の中に在る明治医学校でも実験用の動物を分けてくれ分けてくれってウルサク頼んで来ているんだからね。大した国益事業だよ」
吾輩は天狗猿の口の巧いのに感心した。丸い卵も切りようじゃ四角、往来の犬拾いが新興日本の花形なんだから物も云いようだ。
「やってみてもいいですが、資本が要りますなあ」
「フウン……資本なんか要らん筈だがなあ」
「要りますとも……犬に信用されるような身姿《みなり》を作らなくちゃ……」
「アハハ、成る程……どんな身姿かね」
「二重マントが一つあればいいです。それに山高帽と、靴と……」
「恰度《ちょうど》いい。ここに僕の古いのがある。コイツを遣ろう」
と云ううちに最早《もう》、古山高と古マントと古靴を次から次に窓から出してくれたので、流石《さすが》の吾輩も少々|煙《けむ》に巻かれた。
「洋傘《こうもり》は要らんかね」
「モウ結構です。先生のお名前は何と仰言《おっしゃ》るのですか」
「僕かね。僕は鬼目《おにめ》という者だ。この法医学部を受持っている貧乏学者だがね」
吾輩は思わず貰い立ての山高帽を脱いだ。鬼目博士の論文なら嘗《かつ》て亜黎子未亡人の処で読んだ事がある。その頃まで、三十年前頃までは、微々として振わなかった日本の法医学界に、指紋と足痕《あしあと》の重要な研究を輸入した科学探偵の大家だ。
「学界のためだ。シッカリ奮闘してくれ給え。君を見込んで頼むんだ」
「しかし……しかし……」
「しかし何だい。まだ欲しいものがあるかい」
「イヤ、先生はドウして僕が、この仕事に適している事をお認めになったんですか」
「アハハ、その事かい。それあ別に理由《わけ》は無いよ。君の過去を知ってるからね」
「エッ、僕の過去を……」
「僕は度々君の軽業を見た事があるんだよ。君がドコまで不死身なのか見届けてやろうと思ってね。毎日毎日オペラグラスを持って見に行ったもんだよ。だから君があの木乃伊《ミイラ》親爺を殺したホントの経緯《いきさつ》だって知っているんだよ。あの未亡人を爆発させた火薬と、バルチック艦隊を撃沈した火薬が、同しものだってことも察しているんだよ。ハハハ」
吾輩は聞いているうちに全身が汗ビッショリになった。コンナ頭のいい恐ろしい学者が人間世界に居ようとは夢にも思わなかったので今一度シャッポを脱いで窓の前を退散した。
人生意気に
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