円上げます。ちょうど今日中の上り高《だか》ぐらいあるでしょ。親方へ上げる妾の香奠《こうでん》よ。ね……いいでしょ……いけないの……。いいわ。どうしてもこの坊ちゃんを殺すと云うんなら、妾にも覚悟があるわ。御覧なさい。この小ちゃな七連発のオモチャに物を云わせますから……妾はこの坊ちゃんに惚れてるんですからね。そのつもりで話をきめて頂戴……サアサア。警察《サツ》が来ると話が元も子も無くなるわよ。サアサア。早いとこ早いとこ。オホホホホホ」
みんなこの別嬪《べっぴん》さんに呑まれてしまったらしい。イツの間にかメイメイに持っていた獲物を取落していた。吾輩もソロッと親方の死骸を下して額の汗を拭いていた。
こうなると話は早い。廿分と経たないうちに、金モール付《つき》赤ビロードの舞台服を着た吾輩は、今の別嬪さんと一緒に、その頃まで絶対に珍らしかった自動車に同乗して、どこか郊外の山道らしい処をグングンと走っていた。つまり吾輩はこの、日野亜黎子《ひのありこ》という金持の未亡人に買取られて、郊外の別荘に匿《かく》まわれて、その未亡人のハンドバッグボーイにまで出世したもんだ。禿頭のオモチャから一躍、別嬪のオモチャにまで出世した訳だね。
イヤ、出世だよ。たしかに出世だよ。堕落じゃないよ。第一|昨日《きのう》までは毎日何度となくタタキ店の瀬戸物みたいに荒板の上にタタキ付けられていた奴が、今日は正反対に真綿《まわた》ずくめの椅子やクションの上でフワフワフワフワと下にも置かず歓待される訳だからね。人生は京の夢、大阪の夢だ。電光朝露《でんこうちょうろ》応作《おうさ》如是観《にょぜかん》だ。まあ聞け……そんな経緯《わけ》で吾輩は、その未亡人の手に付くと、お母さんだか妹だか訳のわからないステキな幸福に恵まれながら学問を教《おそ》わった。吾輩を立派な青年紳士に仕立てて見せるという未亡人の意気込みでね……何でもその日野亜黎子夫人の旦那様だった男は、日野|有三九《ゆうさく》という名前でチャチな探偵小説を書いて、巨万の富を積んだあげく、妻君の精力絶倫に白旗を揚げたような……そうして揚げたくないような神経衰弱の夢みたいなエタイのわからない遺書を書いてアダリン自殺を遂げた。自分が探偵小説になっちゃったというダラシのない男だったそうだが、そのお庭の片隅に立っている図書館の中には美事な寝室を作って、あらゆる科学書類
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