らいは楽に這入るもんだがね。それから本人が眼をさますと、ただ頭が痛いばっかりで何一つ記憶していない。イクラ拷問されても、買収されても白状する事がないのだから、どこへ送っても秘密の洩れる心配がない……という事になるんだ。ところがその人間レコードを向うへ着いてから前の順序で麻酔させて、コカインを一筒注射すると、前に云った脳髄のどこかの一部分が眼を醒ますんだね。最近に聞いたレコードの文句を夢うつつにハッキリと繰返す事実が、モウ東京の大学で実験済みなんだ」
「ヘエ。その薬を貴方が発明したんですか」
「発明なんか出来るもんじゃない。盗んだんだよ。ペトログラードのネバ河口に在る信号所の地下室にこの人間レコード製造所が在ることを日本の機密局では大戦以前から知っていて、苦心惨憺して、その遣り方を盗んでおいたんだ。ところが露国は今まで、日本に対してだけこの手段を使ったことがない。つまり取っときにしといたのを今度初めて使いやがったんだ。一番重大なメッセージだからね」
「何故取っときにしたんでしょう」
「日本の医学は世界一だからね。怖かったんだよ。その上に人間レコードに度々なる奴は、なればなる程、注射がよく利いて、レコードの作用がハッキリなる代りに、薬の中毒で妙な顔色になって瘠せ衰えるんだ。気を付けていると直ぐに普通の人間と見分けが付くんだ」
「つまりアノ爺《じじい》みたいになるんですね」
「そうだよ。永い事、和蘭《オランダ》に居た若島中将閣下は哈爾賓《ハルピン》から飛行機で来たあの爺《じじい》の写真を見ただけで、テッキリ人間レコードということがわかったという位だからね」
「若島中将……誰ですか。若島中将って……」
「日本の機密局長さ。支那服を着た立派な人だがね。僕等の親玉なんだ。君を海軍兵学校に入れてやるというのはその人さ……」
 中学生は今一度真赤になった。
「でもあの小ちゃな爺さんは気の毒ですね」
「気の毒ぐらいじゃない。きょうの号外を見たら××大使に殺されやしまいかと思うんだがね。裏切者という疑いで……」
「エッ。殺されるんですか。何も知らないのに……」
「殺されるとも。ソビエットの唯物主義の奴等は血も涙もないんだからね。政治外交上の問題で少しでも疑わしい奴は片《かた》っ端《ぱし》から殺して行くのが奴等の方針だよ」
「残酷ですなあ」
「ナアニ。レコードを一枚壊すくらいにしか思ってやしないだろう。ハハハ」



底本:「夢野久作全集10」ちくま文庫、筑摩書房
   1992(平成4)年10月22日第1刷発行
入力:柴田卓治
校正:しず
2001年3月29日公開
2006年2月24日修正
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