だれて歩き出した。そして又ハッと立ち止まった。
……眼の前の線路に、私の死骸が横たわっている。
両手をポケットに突込んだまま……紺の背広、鼠色のオーバー、黒の襟巻き……茶の中折れが飛んで……赤靴が片っ方脱けおちてて……顔半分を真赤に濡らして……それを凝視した儘、私は棒のように突立った。
……何と言う平凡な姿の轢死体であろう。つい今しがたまで示していた昂然たる意気組もプライドもあとかたもない。犬猫と同様の下らない死姿である。
もし通りがかりの人がこの死体を発見したら何と評するであろう。
「オヤオヤ、腰弁らしい奴が汽車に轢《ひ》かれている。厭世自殺かな。まあ死にたい奴は死ぬがいいさ。米が安くなっていい」
それ位のことを言って、サッサと通り過ぎて行くであろう。
又私を知っている人はこう言うかも知れぬ。
「オヤ。あいつが汽車にやられている。あいつはいつも一人ぽっちで、何か考え考えあるいていたから、おおかたウッカリして避け損ったのだろう。運の悪い奴さ、ハハハ」
けれども又、もし、こうした私の死姿を探偵か新聞記者が見付けたら、何と判断するであろう。
「恐らくこれは覚悟の自殺だ。両手をポケットに突込んでシッカリと握り締めているから……酔っていた形跡もない。しかし自殺とすれば原因は何だろう」
かくして彼等は私の身元や素行を一通り調べるであろう。そうしていくら調べても、私の自殺の原因がわからないために、いくどか首をひねるであろう。
「人知れず失恋していたのだ」
位のことはおしまいに言うかも知れぬ。
こうして私の死は永久に無意識に葬られるであろう。今までにいくつとなく出来たであろうこうした無意義な、かつ不可解な轢死体と一緒に…………。
カタリ……とシグナルが上った音……。
「馬鹿……」
と私は思わず口走りつつ、唾をペッとその死骸の上に吐きかけた。そこを急いで通り過ぎた。
けれども何となく胸がドキドキしたから、念のため今一度ふり返ってみると、線路の上はもう何も見えなかった。乾燥した枕木の上に、今吐いた唾が黒く泌みこんでいるだけであった。
私は命を一つ拾った気になって、ひとりで苦笑した。額の汗を拭き拭きそこいらを見まわした。
「水が飲みたいな」
底本:「夢野久作全集7」三一書房
1970(昭和45)年1月31日第1版第1刷発行
1992(平成4
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