》を射抜かれたのです。それで匐いながら後退して来る途中、眼の前の十数メートルの処で敵の曳火弾《えいかだん》が炸裂したのだそうです。その時には奇蹟的に負傷はしなかったらしいですが、烈しい閃光に顔面を打たれた瞬間に視覚を失ってしまったらしいのです。明るいのと暗いのは判別出来ますが、そのほかの色はただ灰色の物体がモヤモヤと眼の前を動いているように思うだけで、銃の照準なぞは無論、出来ないと申しておりましたが……睫毛《まつげ》なぞも焼け縮れておりますようで……」
「ウム。それで貴官はドウ診断しましたかな」
「ハイ。多分戦場で陥り易い神経系統の一部の急性痲痺だろうと思いまして、出来るなら後退さして頂きたい考えでおります。時日が経過すれば自然と回復すると思いますから……視力の方が二頭腓脹筋《にとうひちょうきん》の回復よりも遅れるかも知れませぬが……」
「ウム。成る程成る程」
 と軍医大佐は頻《しき》りに首肯《うなず》いていたが、その顔面筋肉には何ともいえない焦燥《いらだ》たしい憤懣の色が動揺するのを私は見逃さなかった。
 大佐はそれから何か考え考え腰を曲《かが》めて、携帯電燈の射光を候補生の眼に向けた。私と同様に血塗《ちまみ》れになった、拇指《おやゆび》と食指《ひとさしゆび》で、真白に貧血している候補生の眼瞼《がんけん》を引っぱり開けた。繰返し繰返し電燈を点滅したり、候補生の上衣のボタンを引っくり返して、そこに縫い付けて在る姓名を読んだりしていたが、その中《うち》に突然、その候補生の窶《やつ》れた、柔らかい横頬を平手で力一パイ……ピシャリッ……と喰らわせたのには驚いた。そうして今二つ三つ烈しい殴打を受けて、声も立て得ずに両手を顔に当てたまま、手足を縮め込んでいる候補生の軍服の襟首を右手でムズと掴みながら、
「立てッ……エエ。立てと云うに……立たんかッ……」
 と大喝するのであった。
 私は昨日の昼間のワルデルゼイ司令官の言葉を思い出した。それは、
 ……死んだ奴は魂だけでも戦線へ逐《お》い返せ!
 という宣言であったが、それ程の切羽《せっぱ》つまった現在の戦況であるにしても、これは又、何という残酷な事をするのだろうと慄《ふる》え上っていると、又も更に驚いた事には、その候補生が自分の膝を、泥と血だらけの両手に掴んで、美しい顔を歪《ゆが》めるだけ歪めて、絶大の苦痛を忍びながらヨタヨタと立上った事であった。
 その悲惨そのものとも形容すべき候補生の不動の姿勢を、軍医大佐は怒気満面という態度で見下しながら宣告した。
「……ヨシ……俺に跟《つ》いて歩いて来い。骨が砕けていないから歩いて来られる筈だ。クラデル君……君も一緒に来てみたまえ。研究になるから……」
「……ハッ小官《わたくし》は今すこし負傷兵を片付けましてから……」
「まあいい。ほかの連中がどうにか片付けるじゃろう。……来てみたまえ。吾々軍医《われわれ》以外の独逸国民が誰も知らない戦争の裡面を見せて上げる。独逸軍の強い理由がわかる重大な秘密だ。君のような純情な軍医には一度、見せておく必要がある。……これは命令だ……」
「……ハッ……」
 と答えて私は不動の姿勢を取った。
 軍医大佐はそうした私の眼の前に、苦酸《にがず》っぱいような、何ともいえない神秘的なような冷笑の幻影を残しながらパチンと携帯電燈の光りを消した。佩剣《はいけん》の※[#「木+霸」、第3水準1−86−28]《つか》をガチャリと背後に廻して、悠々と白樺の林の外へ歩き出した。
 その背後から候補生が、絶大の苦痛に価する一歩一歩を引摺《ひきず》り始めた。夜目にも白々とした苦しそうな呼吸を、大地にハアハアと吐き落しながら……。たまらなくなった私が、何がなしにその背後から追附いて、その右腕を捉えた。自分の肩に引っかけて力を添えてやったが、私の背丈が低すぎるので、あまり力にならないらしかった。
「……ありがとう……御座います。クラデル様……」
 候補生が大地に沁み入るような暗い、低い、痛々しい声で云った。白い水蒸気の息をホ――ッと月の光りの下に吐き棄てたがモウ泣いているらしかった。

       二

 私たちの行程は非常に困難であった。
 涯《はて》しもなく漫々たる黒土原と、数限りない砲弾の穴が作る氷と泥の陥穽《おとしあな》の連続。その上に縦横ムジンに投出されている白樺の鹿砦《ろくさい》。砲車の轅《ながえ》。根こそぎの叢《くさむら》の大塊。煉瓦塀の逆立《さかだ》ち。軍馬の屍体。そんな地獄じみた障害物が、鼠に噛じられたような棘々《とげとげ》しい下弦の月の光りと、照明弾と、砲火の閃光のために赤から青へ、青から紫へ、紫から黄色へ、やがて純白へと、寒い、冷めたい氷点下二十度前後の五色の反射を急速度に繰返しながら半|哩《マイル》ばかり続きに続いた
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