い奴は身投げぐらい、しかねないんだ。毛唐なんて存外、気の小さいもんだからね。すぐに思い詰める奴が出て来るんだ。その証拠に、明日《あした》明日で云い抜けながら仕事をして行くうちに、三日ばかり経ったら乗客が、一人も寝なくなってしまった。みんな神経衰弱にかかっちゃったらしいんだ。来る日も来る日もエムデンの目標になって浮いているんだから、考えて見れあ無理もないさ。こっちも無論エムデンが怖くないことはなかったが、怖いったって今更ドウにも仕様がない。タッタ一本しか無い予備シャフトを無駄にしたらそれこそホントウに運の尽きだからな。
 そんな訳で、最初から腹を定《き》めて仕事をしたお蔭で、ヤット船が動き出すには動き出したが、今度はモウ速力《スピード》を出さない。八千|磅《ポンド》の証文をタタキ返して、安全弁《セーフチイバルブ》の鉄片《てつきれ》を引っこ抜いてしまった。すると又、そのうちに、乗客の中でも一番航海通の海軍将校上りが……サッキ話した慌て者さ……そいつが手ヒドイ神経衰弱に引っかかってしまった。機関長を殺せとか何とか喚《わ》めきやがって、ピストルを振りまわすので、トテモ物騒で寄り付けない。……と
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