カリ遣り給え。しかし試験の候《そうろう》のっていうけど、今の学校の試験なんか甘いもんだよ。僕が機関長になった時の体験を話したら身の毛が竦《よだ》つだろうよ君等は……まあ聞き給え……モウ船室《ケビン》には用は無いだろう。ナニ、書物を読みたい。書物なんかは大概にしとくがいいね。学校で習った事なんか実際の役に立ちやしないよ。理窟通りに機械が動くもんなら機関長は要らない。学者の思う通りに世の中がなるものなら、ボルセビキの理論は一と通りで済むんだ。ナカナカ学者だろう。ハッハッ。
 オイ。ボン州。チョット来い。モウ一パイ茶を入れて来い。今度は紅茶だ。俺のはウイスキーを割って来るんだぞ。それからその扉《ドア》を閉めておけ。八釜《やかま》しいから……。
 どうだい。こうして扉《ドア》を閉めとくと機械の音がウッスリしか聞えないだろう。扉《ドア》が厚いからね。しかしコンナに軽い騒音でも、機械のどこかに故障があると、直ぐにこっちの頭にピインと来るんだよ。故障の個所までチャント解るから不思議だろう。ナアニ。永年の経験さ。この部屋で寝ていると夜中に何か知らんハッとして眼を醒ます。ハテ。何で眼を醒ましたのかと思って、ボンヤリしていると果せる哉《かな》だ。コンナ風に雑然《ごちゃごちゃ》聞えて来る騒音の中のドレか一つが起している。ズット奥の小さなピストンのバルブがおかしいな……とか何とか直ぐに気が付く。そんな小さな音に眼を醒ます筈はないと思うかも知れないが、不思議なもので、機械のジャズが順調に行っているうちはグッスリ眠っているが、すこし調子が変るとフッと眼が醒める。同じ船に長く乗っていると船の機械全体が、自分の神経みたいになってしまうんだね。船が黒潮に乗ると同時に、運転手がポッカリと眼を醒ますようなもんだ。
 まだ驚く話があるんだ。
 今君が見たあの大きな汽鑵《ボイラー》ね。あの正面の電球の下に時計みたいなものが在って、指針《はり》が一本ブルブル震えていたろう。あれが汽鑵《ボイラー》の圧力計《プレシュアゲージ》なんだが、あの圧力計《ゲージ》の前に立って、あの指針《はり》が、二百|封度《ポンド》なら二百|封度《ポンド》の目盛りの上に、ピッタリと静止しているのを見た一瞬間に、この指針《はり》はこれから上るか……下るかっていうことがピンと頭に来るんだ。静止している指針《はり》がだよ。そいつがピンと来る位の頭にならなくちゃ、一人前の機関長たあ云えないんだ。同時に圧力がコレ位しか上らないところを見ると石炭が悪いんだな……とか……どこかに故障があるんだなとかいう直覚が来る。向うの港に着くまでに石炭が足りるか足りないかといったような問題まで、同時にピーンと来るんだから、あの指針《はり》一本がナカナカ馬鹿に出来ないんだ。ソウ……第六感とでもいうかね。
 無論そこまで来るには僕も苦労したもんだよ。まあ聞き給え……。
 ……オーイ……這入れえ……。
 ……ヤッ来た来た。魔法瓶《テルモス》に入れて来たな。ボン州の癖に気が利いているじゃねえか。このウイスキーは誰のだ。何だ船長のか。イヨイヨ気が利いているぞ貴様は……勿体《もったい》なくもK、O、K、じゃねえか。ステキステキ。どうだいチョッピリ、ウイスキーを入れようか。ナニ。奈良漬に酔う? ナカナカ日本通だね君ゃ。それじゃカステラを遣り給え。上海から逆輸入の長崎名物だ。吾輩の話の聞き賃だ。ハハハハ……オイオイ……野郎。あとを閉めねえか。馬鹿野郎……。
 イヤ。全く久し振りにコンナ話をするがね。吾輩が機関長の試験を受けたのが二十一の年だった。イヤア君も二十一かい。そいつあ奇遇だね。ハハハハ。ところでソイツが満点試験と来ているから凄いだろう。ドレ位凄いか話してみなくちゃ解るまいがね。
 何しろこっちは、無けなしの貯金に借金の上塗《うわぬ》りした何十円也を試験料としてブチ込んでいる一方に、船乗片手間の独学と来ているんだから絶体絶命だ。高等数学の本なんかテンデわからない奴を、片《かた》ッ端《ぱし》から一冊分丸諳記さ。そんな無茶をやった事があるかい。無いだろう。トテモお話にならないんだ。兵庫の下宿の天井から、壁から、襖《ふすま》から、障子《しょうじ》から、電燈の笠まで、公式を書いた紙をベタベタ貼り散らして寝床の中から眼を開ければ、直ぐに眼に付くようにしている。諳記した奴は引っペガして、新しいのを貼るという寸法だ。下宿の婆さんが驚いて、コンナに沢山にまあ。これは及第のおまじない[#「おまじない」に傍点]ですかって聞くんだ。成る程おまじない[#「おまじない」に傍点]に違いないね。丸めて嚥《の》んでしまいたいくらい大切なおまじない[#「おまじない」に傍点]だからね。ハハハ。
 それから当日試験場へ行くと、初日は筆記試験ばかりだったが、コイツは兎《と》
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