ッハッ……。
サア来た。……ここが機関室だ。この垂直の鉄梯子《てつばしご》を降りるんだ。油でヌラヌラしているから気を付け給え。落ちたらコッパ微塵《みじん》だよ。ウンなかなか君は身が軽いね。運動をやっているんだね。スキーにダンスか。そいつあモダンだ。女が惚れる筈だ。オット危ない……。
こっちへ来たまえ。……聞えないかい。オイオイ。こっちへ来たまえったら。このベルトに触《さわ》らないように気を付けたまえ。
これが僕の仕事部屋だ。この椅子に掛け給え。アットット……。濡れてたかい。イヤ失敬失敬。暗いからわからなかった。茶瓶《ちゃびん》か何かそこへ置きやがったな。オヤオヤ。お尻がビショビショになっちゃったね。アッハハ。茶粕《ちゃかす》が付いてらあ。仕方がない。この鉄椅子に掛け給え。そのうちに乾くだろう。……見たまえ。ちょうどマン中の汽鑵《ボイラー》が真正面に見えるだろう。忙しくなるとこの部屋に来て仕事を睨《にら》むんだ。時化《しけ》の時なんぞは一週間位寝ない事があるんだぜ。
オーイ。誰か来い。……聞こえないか……君はチョットその呼鈴《ベル》を押してくれたまえ。……何だボン州か。ウン。コック部屋に行って珈琲と菓子を貰って来い。普通のじゃ駄目だぞ。船長《おやじ》が上海で買込んだ奴があるんだ。コック部屋に無けあ船長室に在る筈だ。そいつを掻《か》っ払《ぱら》って来い。なぐられるもんか。愚図愚図《ぐずぐず》吐《ぬ》かしたら俺が命令《いいつけ》たと云え。船長《おやじ》には貸しがあるんだ。……行って来い……。
……どうだい。機関室ってものは這入ってみると存外荒っぽいだろう。聞えるかい。僕の云う事が。きこえる……ウン……ボン州ってな綽名《あだな》だよ。……仏蘭西《フランス》語の挨拶かと思った?……アハハハ大笑いだ。あの垂直の鉄梯子を降りたら、ドンナ人間でも本名が無くなるんだ。地獄の一丁目だからね。みんな戒名《かいみょう》で呼び合うのが習慣になっているんだ。銀行泥棒上りが銀州、強盗前科が腕公《わんこう》、女殺しがエテ公、凡クラがボン州……モウ暫くすると君だって戒名を附けられるかも知れない。黒眼鏡とか何とかね。ハッハッハ……ナアニ。みんなここへ来れあ年季を入れるんだよ。何でも白状しちまうんだ。娑婆《しゃば》へ出れあ寿命の無い奴ばかりだからね。首と釣り換えで働きますという意味で、綺麗《き
前へ
次へ
全23ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング