人を反省させるだけの意味の復讐なら、大変にいい事だと思いますわ。その方法は貴女にお任せしますわ。どんな方法でも私は決してお恨み申しますまい。そうして、それでもお父様……校長先生が反省なさらない時には、貴女から下すったお手紙を、きっと貴女のお指図通りに出しますわ。ええ、中味を見ないで……誰にも……母にも秘密を明かしませんから、どうぞ御安心下さい。私は貴女をドコまでも信じて行きますわ。……私は貴女に思う存分に恨みを晴らして頂くよりほかに父の……父の罪の償《つぐな》い方法《かた》を知らないのですから……。
 ……ですけど……それはそれとして、大阪へお出でになったらキットおたよりを下さいましね……どうぞ……ね」
 そう言ってアイ子さんはタッタ一しずく涙をポトリと落されました。そうしてその涙を拭おうともしないまま走り寄って来て、私の手をシッカリと握り締められました。千万無量の意味の籠《こ》もった握手……。
 それで私の下準備《したごしらえ》は終りました。

 私が大阪に行く事を承知しました時の両親の喜びようと、わざわざ訪ねてお出でになった校長先生のお賞《ほ》めになりようは、それはそれは大変なものでした。そうしてその時に私が持ち出しました無理なお願い……大阪へ行く事を誰にも知らせないで、タッタ一人で出立したい。大阪の新聞社の支局へも挨拶しないまま、今から直ぐに出発したいという我ままな願いも、そんなに八釜《やかま》しく仰言らずに承知して下さいました。
 けれども私は大阪へ行きませんでした。
 謝恩会のあったその日の夕方に、新しい洋装とハンドバッグ一つと言う身軽い扮装《いでたち》で、両親に別れを告げて、家を出るには出ましたが、その足で直ぐに殿宮視学のお宅をお訪ねして、イヨイヨ大阪へ行きますからと言って、無理にアイ子さんを誘い出しました私は、一緒に西洋亭へ上りまして、二人で思い切り御馳走を誂《あつら》えて、お別れの晩餐《ばんさん》を取りました。それから二人でモダン写真館へ行って記念写真を撮りますと、あそこの写真館のサロンで二人で抱き合って長い長い接吻を致しましたが、二人とも涙に濡れて、お互いの顔が見えないようになってしまいました。
 それから私の計画をチットモ御存じのないアイ子さんが是非とも見送ると言って停車場へ見えましたので、仕方なしに大阪へ行くふりをして汽車に乗るには乗りましたが、直ぐに途中の駅から自動車で引き返して、この町の外れのある淋しい宿屋へ泊り込みました。そうして近くの古着屋から買って来ました黒い背広に、黒の鳥打帽、黒眼鏡と言う黒ずくめの服装で、男のような歩き方をしながら、一所懸命に校長先生のアトを跟《つ》け始めました。手に提げた学生用の手提袋には長い丈夫な麻縄と、黒|繻子《じゅす》の覆面用の風呂敷と、旧式の手慣れたコダックと、最新式の小型発光器《フラッシュランプ》と、蝋マッチと、写真の紙を切るための安全|剃刀《かみそり》の刃を入れておりましたが、これは前の晩に宿屋の屋根で使い方を研究して置きました、練習ずみの品々で、校長先生に取っては、ピストルよりも、毒|瓦斯《ガス》よりも、何よりも恐ろしい私の復讐の武器なのでした。
 そんな事とは夢にも御存じなかったのでしょう。却って私を大阪へ追払ってモウ一安心とお思いになったのでしょう。校長先生は謝恩会のあった翌る日の二十四日の夕方に、何処かへ出張なさるような恰好で、真面目なモーニングに山高帽を召して、書類入れのボックス鞄なぞを大切そうに抱えて、下宿をお出ましになると、夕暗《ゆうやみ》の町伝いを小急ぎに郊外へ出て、天神の森の方へ歩いて行かれました。……サテは……と胸を躍らせながら一心にアトを跟《つ》けて行きますと、果して天神の森には二人の和服の紳士の方が待っておられました。……スラリとした影とズングリ低いのと……それが近付いてみますと、やはり私の想像通りに傴僂《せむし》の川村書記さんと、好男子殿宮視学さんに違いない事がわかりました時の私の喜びはどんなでしたろう。
 森の外の国道には、室内照明《ルーム》を消した幌自動車が、三人の若い芸妓《げいしゃ》さんを乗せて、ヒッソリと待っておりました。それに気が付きました私は、手提袋を腰に結び付けて、黒い風呂敷で手早く覆面をしますと、三人が自動車に乗り込まれるとほとんど同時に夕暗に紛《まぎ》れながら、スペヤ・タイヤの処へ飛付いて、小さく跼《かが》まりながら揺られて行きました。そうしてその自動車の行先が、私の想像通りに温泉ホテルである事がわかりました時の、私の安心と満足……冒険心と好奇心……それはどんなにかドキドキワクワクしたものでしたろう。私の復讐は何もかも最初から、温泉ホテルを目標にして、研究して、計画しておったものですから……。そうして、それがもう第一日
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