ですよ。ですから会社の重役さんがスッカリ信用してしまったらしいのです。
 私も男らしい固い人と思い込んで、何もかも言うなりになってしまったんです。そうして正式に結婚式を挙げるばかりになっていたのです。
 そうしたらね。きょう東京の青バスにいる妾の親友の松浦ミネ子さんからダシヌケにお手紙が来たのです。それがトテモびっくりする事だったのです。
「貴女の会社に新高竜夫って言う運転手が来たらダンゼン御用心なさい。
 新高竜夫って言う人は東京中の運転手の中でも一番男ぶりのいい、一番恐ろしい評判の悪い人です。
 新高って言う人は青バスにいるうちに幾人も幾人も女車掌を引っかけて内縁を結んで、その人に倦《あ》きると片端から殺して、何処かへ棄てて来るらしいんですって……。けれどもその遣り方が上手なので、まだ一度も疑われた事のない不思議な不思議な怖い怖い人なのです。こんな噂《うわさ》が立っているのは、あたし達、女車掌の仲間だけらしいのです。
 それでもこの頃になって、警視庁の眼が、だんだん強く新高さんの近まわりに光り出したので、新高さんはコッソリ青バスをやめて、何処かへ行ってしまったのです。
 どこか田舎のバスへ落ちて行ったろうって言う噂ですから、貴女の会社へ来るような事でもあったらゼッタイに御用心なさい。
 よけいな事かも知れませんけど、心配ですから、ちょっとお知らせします」
 と言ったような意味の事が鉛筆で走り書きにしてある。そんな手紙が来たのです。
 妾ビックリしてしまいましたわ。
 ですけども私、馬鹿正直なもんですから、この手紙をお父さんに見せないで、イキナリ新高さんに見せて遣ったのです。だって私モウ新高さんと関係が出来てしまったんですから、そうするのが当り前じゃないでしょうか。
 新高さんは青い顔をしてその手紙を読んでしまいました。そうしてクシャクシャに丸めて、火鉢に投げ込んで焼いてしまいました。
「馬鹿だな……お前は……コンナ事を人にシャベッたら承知しないぞ」
 と言って舌なめずりをしながら、ジロリと私を睨んだ新高さんの顔付きの恐ろしかったこと。顔の肉の下から骸骨がムキ出しに、ギョロッと出て来たかと思ったくらいスゴかったわよ。芝居でも活動でもアンナ怖いスゴい顔は見た事なかったわ。
 私はその時にシンカラふるえ上がってしまって、ミネ子さんのお手紙に書いてある事がウソか本当か尋ねる事が出来なくなりました。そうして新高さんの顔を見て涙をポロポロ流していたら、新高さんはニッコリ笑って私の肩をタタキました。
「アハハ。お前を殺そうてんじゃないよ。コンナ噂の手紙なんかホントにする奴があるもんか。馬鹿だな。お前は……」
 と優しく背中を撫でてくれたのです。その時に妾は何だか新高さんに殺されそうな感じがしてならなかったのですよ。でも新高さんなら殺されてもいいような気もちになったもんですから、そのまんま黙っているのです。
 この事はお父さんにも誰にも言わないつもりですけど、トミ子さんにだけ書いときますわ。
 ね。私の事を忘れないでね。
 私と新高さんとで楽しい家庭を持っても笑わないでね。心から祝福してね。さよなら。
[#地から2字上げ]浜松勉強バスにて  ツヤ子より

 これがツヤ子さんから来た最後の手紙だったのよ。
 ね。智恵子さん。この手紙を書いたツヤ子さんは、それから一週間も立たないうちに死んじゃったのよ。そうして博多でお葬式があったのよ。
 ツヤ子さんの遺骨を持ってお帰りになったお父さんのお話を聞いたら、ツヤ子さんはバス代用の新フォードに新高さんと一緒に乗って行くうちに、お客が満員になったので左側のステップに立っていなすったんですって。そうしたら暗闇の中で向うから来たトラックがライトを消さなかったので、新高さんのハンドルが急に左に寄り過ぎて、ツヤ子さんの身体が電柱にブツカッたって言うのよ。左の肩と、腕と、アバラの骨がグザグザになっていたんですってさあ。
 ドオオンて大きな音がしたって言う乗合《のりあい》のお客さんの話だったんですってさあ。ツヤ子さんのお父さんは「ツヤ子の運が悪いのです。あんな商売をさせたのが悪かったのです。トラックの番号は新高運転手が見といたそうですが、訴えても問題になりませんし、誰を怨むところもありません。タカの知れた女の子一匹です。広い世間の眼から見たら虫ケラ一匹のねうちも御座いますまい。それでもお客さんの生命に代ったのですから、私ももうトックに諦めております。会社からはその月の給料のほかに十円くれました。助かったお客様なんか見向きもしませんが、安いもんですなあ。よその人を敷いたのなら三百円ぐらい出しますが、葬式代にも足りません。もっとも、それぐらいに安く見積もらなきゃあ、若い人間をアンナに大勢、あぶない仕事には使われますま
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